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ひめ路-田添 賢

車中泊のなかで、すでにデザインはできていた。



二〇一六年四月に熊本地震が起きた。
次々と襲ってくる余震のなか、店も民宿も訪れる客が激減する。
避難の車中泊をつづけていた田添賢さんは危機感をもって思った。
「このままでは阿蘇は孤立してしまう」。
元気を示すために、そして復興のために、何かできないか。そうだ、Tシャツはどうだろう。
郷土料理店「ひめ路」の厨房に立つ彼は、福岡の大学の芸術学科でデザインを学んだ。
その道で進んでいこうと考えることもあったが、「ひめ路」の初代店主である父が病気をしたのを機に阿蘇に戻った。
複雑な思いももちろんあった。大学の友人たちがデザインや絵画の分野でさっそうと活躍しているのを知るときなどはとくに。
「でもそうした友人が店にやってきて、私の料理を食べて心の底からうまいと感激してくれるのを見て、ふっきれました」
Tシャツの図柄のデザインはすでに車中泊のときにできあがっていた。製作した。はじめは二十枚。フェイスブックで発信した。
反応はすごかった。立ち上げた二日後に二百五十枚の予約。印刷所は地元の小さな会社だ。製作から発送まで、てんてこ舞いで対応した。
六月には販売の収益金百万円を阿蘇市に義援金として寄付した。
「応援してくれる人の多さを身をもって体験し、大きな力をもらいました」。


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火の国阿蘇の恵みのブランド「然」

カテゴリ : 行政
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