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カルデラ湖

概要

火砕流噴火とその後の陥没によってできた阿蘇カルデラの底は、海抜マイナス300~600メートルほどの深さがありました。水がたまって湖ができた湖面の高さは海抜500メートル位のところにあったと推定され、今日のカルデラ床の高さとほぼ同じくらいだったと考えられます。
その後、カルデラ壁から雨水とともに流入する礫(小石)や砂・シルト・粘土・あるいは火山灰などが湖底に数万年かけて堆積しました。そうしてできた湖成層は、今日、久木野から長陽村にかけての白川両岸や高森町下色見ボーリング調査では湖成層の厚さは約300メートルにも達しています。

これら湖成層のうち、久木野村から長陽村にかけて見られる偽灰室シルトや粘土なる厚さ約50メートルの久木野層からは淡水生の珪藻の化石が見つかっています。また、阿蘇町萱原一帯のカルデラ湖末期に生成されたと考えられる沼鉄鉱(水酸化鉄)床には水辺に生えるヨシの茎が多く含まれています。
カルデラ湖は、その後、西外輪山の長陽村立野付近が決壊して湖水が流出し消滅しました。決壊したのは、その後決壊箇所の両岸にくっつく2枚の溶岩流の年代からして7万3000年以前だったと推定されますが、決壊の原因と時期は今一つはっきりしません。

決壊の原因は、断層と浸食作用によることは確かで、断層によって外輪山にひび割れが生じ、そこからしみ出た湖水は外側から浸食して傷口をしだいに広げていき、ついにはカルデラ壁が決壊するといった具合です。立野付近には東西方向の活断層や大規模なリニアメント(線状の地質構造)が顕著で、その中でも活断層と考えられている北向山断層と名付けられた北落ち200メートルにも達する正断層と、その北側にほぼ平行してある南落ちの正断層が大きく関係していると考えられています。一度決壊した場所も、その後の火山活動で一時塞がったり、地震や浸食作用で再び開くといったこともあったそうです。

カルデラ湖は、北側と南側では様子がだいぶ異なっていたようです。南側が深かったようですが、今から約4万年前には干上がったそうです。一方、北側では弥生時代の船の櫂などが出土していることなどからごく最近まで一部水域が残っていたことは確かで、花粉分析の結果などから、少なくとも6000年前くらいまでは湖が残存していたと考えられます。

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カテゴリ : 阿蘇の自然
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