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セリ市

概要

阿蘇郡内での牛馬市は明治33年、蘇東畜産組合が波野村笹倉で開いたのが最初です。その翌年には郡内各地に開設され、数次の変還を経て、38年に家畜市場へと発展を遂げました。
しかし、当時の牛馬市では不正な取り引きが横行し、農家は度々にわたり多大な損失を被りました。「阿蘇郡畜産組合30年小史」には、不当な市場運営の様子が次のように記されています。


開設初期にありては、一般にその必要と利益を認めるも、不当の利益を得ることに慣れたる一部人士にありては殆ど失業状態に陥り、その結果として甘言を似て畜主の関心を買い市場の発展を喜ばず。進んで妨害を加ふるに至り、当局者の苦心実に名状すべからざるものがあった。この間にありて不屈不撓の熱心を似てこれが経営をなしたるも、時として市場の収入はその経費を弁ずるに足らざるの悲境を屡々繰り返すに至った。
牛馬売買営業者にしてその売買を紹介したるものに対し、手数料として五分の二を交付し、且つ開設準備委員に各町村牛馬商中より一名宛諮問委員を選定す。


また、このような不正な状況を嘆き、公正な牛馬市を一刻も早く開いてほしいという生産者の期待も記述されています。文面からは、古い不明朗な取引を廃止し、生産者と購買者の協力によって妨害のない正常な市場運営を実現しようとする姿勢がうかがえます。明治34年のセリ市場には坂梨村と記載してありました。


由来本郡にては牛馬商ありて子牛馬は多く移出地からの商人を迎えて仲介し、袖裏に手を握りて一種の暗号によりて価格を協定して敢えて公表することを好まず、不言不語の間にありて不正の利益を貪るもの決して皆無ではなかった。況や牛馬の価格など僻遠なる地方生産者の知り得る便宜もなく、受給地間相場の格差など多大なものがあって、その弊害の及ぶ所限りなく・・・徒に貪欲の犠牲となるという状態で、畜産業の発展を阻害すること少なからず。今や畜産主要地にありては、セリ売り法による売買行なわれつつあるは頗る適当な施設である。『阿蘇郡畜産組合三十年小史』より


明治38年、阿蘇郡畜産組合は「阿蘇郡畜産組合せり場取締規定」24条を策定しました。競売の手続きや売買が成立した場合の手数料、保証金、契約など、セリ売りに関する一切を取り決めました。しかし、実際の開催ではなお多くの障害が発生し、家畜市場正常化の必死の叫びはついに熊本県当局に届きました。
明治41年、県当局は県令をもって『仔牛馬セリ売規則』五条を制定しました。それによると、産牛馬組合にせり売り場の設置を義務付け、生産者には子牛馬を競売りに付すべき義務を負わせています。また、セリ売りの成績は閉場後10日以内に組合長から知事に届けるよう命じています。
明治43年3月には家畜市場法が発布されました。これには「畜産事業の発展はこれが取引方法の改善を促して止まず、遂に全国当業者の叫びは家畜市場法として発布され・・・一般畜主の自覚と法律の保護により健全なる発展を遂げつつあり」と明記され、ようやく近代的な価格決定の機能を備えた公設市場が開かれることになりました。当時、阿蘇郡内の家畜市場は15ヶ所。一の宮町では宮地市場が開設されました。


カテゴリ : 文化・歴史
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