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久木野湖

概要

南郷谷の旧久木野村から旧長陽村にかけての白川両岸には、中央火口丘群の古い溶岩である鮎返ノ滝溶岩を覆って湖に堆積した地層が分布しています。この地層は、厚さ約50㍍の凝灰質シルトや粘土から成る湖沼性の堆積物で、久木野層と呼ばれています。
調査では、堆積物から淡水生の珪藻の化石が報告されています。この堆積物は、一度開いた古火口瀬を中央火口丘群の溶岩がせき止めたことによって生じた湖「久木野湖」の堆積物です。
厚さが50㍍にも及ぶ久木野層の大部分は栃ノ木溶岩と立野溶岩のせき止めによる堆積物です。ところが久木野層は栃ノ木溶岩よりさらに下位にも堆積しているので、初めに久木野湖をつくった溶岩は栃ノ木溶岩より古い溶岩であったことになります。
戸下の黒川河床に見られる鮎返ノ滝溶岩であった可能性が考えられます。鮎帰ノ滝溶岩や立野溶岩が古火口瀬に流れ込むためには、すでに初期の中央火口丘群は相当に成長し、当時の火口原が南北に分断されていた可能性があります。従って久木野層を堆積させた湖「久木野湖」は南郷谷に限定されていたと推定されます。なお、栃ノ木溶岩は久木野層の間に挟まれているにもかかわらず、水中溶岩の岩層は示していません。このことは、栃ノ木溶岩が戸下付近に流下した時には、一時的に久木野湖の水が殆ど無くなっていたことを意味しています。
同じように、当時阿蘇谷側にも湖ができた可能性は充分に考えられます。一の宮町片隅のボーリングで確認している地下186㍍より深い部分の湖水成堆積物は、分布高度から久木野層に相当する可能性があります。もしそうであれば久木野湖の時代に阿蘇谷側にも湖が生じていた事になります。

栃ノ木溶岩と立野溶岩

栃ノ木溶岩は、長陽村栃木温泉付近から戸下付近にかけてのせまい地域に見られます。斑晶の少ない輝石安山岩で、溶岩のK-Ar年代として、約73,000年前の値が得られています。
立野溶岩は、立野火口瀬に流れ込んだ溶岩のうち最も厚い輝石デイサイトの溶岩です。溶岩の厚さが80~100㍍に達します。白川と黒川の合流する戸下付近でこの溶岩には見事な柱状節理(溶岩が冷却される際に堆積が収縮することによって形成された柱状の亀裂、宮崎県の高千穂峡谷などにみられる)が発達しているのが観察されます。戸下より東側で別の溶岩流に覆われるため墳出源は不明です。

参考

阿蘇火山の生い立ち

カテゴリ : 阿蘇の自然
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