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作家

国木田独歩(くにきだどっぽ)

明治四年(1871)~明治四一年(1908)詩人、小説家。本名哲夫。千葉県生まれ。自然主義文学の先駆者。『源叔父』『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』『運命論者』『正直者』『竹の木戸』など、いずれも短編であり、日本を代表する短編小説である。明治二六年九月から一年間、大分県佐伯の龍谷学園に教頭として赴任。二七年一月、山口県の両親宅から佐伯への帰途、立野に一泊して、阿蘇登山。宮地へ下り坂梨に一泊、その時の体験談。阿蘇の自然を背景に名もなく生きる若者に寄せる作者の共感から生まれた作品が『忘れえぬ人々』です
。明治三一年、徳冨蘇峰の編集『国民之友』に発表。一の宮町に文学碑がある。

三好達治(みよしたつじ)

明治33年(1900)~昭和39年(1964)詩人。大阪府生まれ。東大仏文科卒業。堀辰雄、丸山薫らと『四季』創刊。詩集に『測量船』『春の岬』『艸千里』など。「艸千里浜」は『艸千里』に所収。彼は大正9年、昭和11年、36年と3回阿蘇を訪れている。この作品は2回目の来訪の機に生まれたもので、不変の阿蘇と「齢かたむき」「杖により」すがる自分の変化を、抒情豊かにうたい上げたものである。他に宇宙の阿蘇の草原で草をはむ馬の群れを即物的にとらえた口語自由詩「大阿蘇」(『霾』所収)がある。

蔵原伸二郎(くらはらしんじろう)

明治32年(1899)~昭和40年(1965)詩人。阿蘇郡阿蘇町生まれ。本名惟賢。慶応大学在学中に萩原朔太郎の影響を受けて詩作を始める。昭和14年の処女詩集『東洋の満月』で「おれは谿谷と火山の町で生まれた」「あの日暮の火山地の高原へ走ってゆかう」と歌い、大都市の近代文明を否定、原始的な阿蘇の自然への回帰を願う。他に『暦日の鬼』『乾いた道』『岩魚』(読売文学受賞)、小説集『猫のゐる風景』詩論『東洋の詩魂』など。「故郷の山」は『乾いた道』に所収。詩碑が阿蘇町の生家跡にある。

草野心平(くさのしんぺい)

明治36年(1903)から昭和63年(1988)詩人。福島県生まれ。中国、嶺南大学に学ぶ。詩誌『暦程』創刊。詩集に『第百階級』『母岩』『富士山』『定本蛙』(読売文学賞受賞)、『天』、評論『わが光太郎』など。「阿蘇山」は『天』に所収。「阿蘇山」は昭和22年11月、アヴァン・ギャルド「火の会」の一行とともに阿蘇登山をした時の驚きと感動を詩にしたものである。活火山の噴火の様子を、独特の擬音のくり返しによって、生命力のあふれるものに歌い上げたもので、彼の詩に共通する特徴である。

夏目漱石(なつめそうせき)

慶応3年(1867)~大正五年(1916)俳人、小説家。東京生まれ。明治29年から33年まで、第五高等学校の英語教師として熊本に住む。その4年間に6回も住居を変えている。光琳寺の家(下通)、合羽町の家(坪井)、大江の家、井川淵の家、内坪井の家、北千畑の家である。そのうち内坪井の家が漱石記念館となっている。ペンネームは「流れに枕し、石に漱ぐ」にちなんでいて、熊本流には「もっこす」の意。当時は正岡子規との交流が深く、たくさんの俳句を作っている。明治三八年に『吾輩は猫である』で文壇にデビューする以前のことである。代表作に『坊ちゃん』、『三四郎』、『それから』、『こころ』、『明暗』などがある。

猿丸太夫(さるまるだゆう)

平安初期の歌人。36歌仙の一人として知られているが、まさに伝承上の人物で、歌の有名度に比べ生涯の詳しい実像は明らかでない。各地に遺跡や言い伝えは多く残っている。庫県芦屋には社(やしろ)があり、その子孫が住んでいるという。また、大阪府堺や長野県戸隠、新潟県東蒲原、山形、金沢、福島県南会津など、ゆかりの地は数多く存在する(柳田国男集「神を助けた話」等より)。蘇陽町には、猿丸太夫の墓と伝えられるものが残っている。

カテゴリ : 文化・歴史
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