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十一面観音

 全国的に有名な九州西国霊場は和銅6年(713)の開創と伝えられ、日本の観音霊場の先駆ともいえる歴史を誇っています。その三十三ケ所の霊場の中で熊本県には、十二番礼所・十三番礼所・十四番礼所の三ヶ寺があります。その十二番礼所の霊場が一の宮町宮地的場の民家・田中家の2階の御堂です。御堂は天台宗金剛山青龍寺と言われ、御本尊は脇侍を持つ十一面観音菩薩です。

 青龍寺は、かつて平安時代に阿蘇神社の北側の一角に建てられていた神(じん)護寺(ごじ)でした。神護寺とは神宮寺とも言われ、仏法によって神の威徳を増すという神仏一体の思想に基き神社の境内に建てられた寺で社僧が住んでおりました。明治元年(1868)の神仏分離令により青龍寺も廃寺となり、現在その跡地には寺ゆかりの山桜の老木が一本残されています。

 神護寺としての青龍寺は永年元年(1096)に第三十八代阿蘇大宮司惟行が天台高僧慶円(蘇印僧正)を招いて開基し、経坊本堂に食堂・鐘楼を有する寺を創建しました。経坊本堂には、奈良時代の僧・行基が一刀三礼の敬意を込めて刻んだと伝えられている十一面観音像が本尊として安置されていました。十一面観音菩薩は神格の健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、仏身となって現世に顕れたお姿であると信じられていました。

 青龍寺最盛期(中世)には阿蘇谷内に末寺十五寺を支配下に置き、神社の祭祀に奉仕する十五人の社僧を抱えるほどでしたが、次第に衰微し、加藤清正公が阿蘇社を再興した頃は青龍寺一寺のみとなり、僧侶も西巌殿寺の僧が供僧を兼ねていました。

 明治元年に廃寺となった青龍寺の十一面観音像と他の仏像・仏具は、縁のある坂梨村の医王山大山寺(天台宗)に移され、座主(ざす)大山雲平が奉護していましたが、雲平の還俗(げんぞく)後は大山寺は無住となり、やがて廃寺となりました。その後、仏像は縁故ある寺や家に預けられるなど転々とした後、熱心な信者であった田中家の勧請によって現在所に安置されて今日に至りました。

 神護寺だった青龍寺は比叡山延暦寺の末寺となり、金剛山青龍寺と称する九州西国三十三観音霊場十二番札所として再興されました。今でも巡礼の道を辿り、寝観音と云われる阿蘇五岳の魅力に魅かれて、県内外を問わず多数の崇敬者に参拝されています。

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参考

~文化財を大切に~  みんなで護ろう文化財



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