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古代史

阿蘇では外輪山一帯に約2万年前に人類の文化がありました。氷河時代の最後の時代のことである。カルデラ内に居住するようになったのは弥生時代の後期、今から約1,800年前で、湿地の微高地に生活を始めている。やがて一の宮町中通では大形の前方後円墳二基を中心に広がる古墳群を造るほどの力を持つ存在になった。これたの人々が、どこから来て、どのようにして阿蘇に住みついたのかでしょうか?

一、先土器時代

阿蘇地方には現在約30ヶ所の遺跡が確認されています。遺跡の分散状態はカルデラの周辺の外輪山をまわる状態です。
この時代の文化は土器を持たない、石器だけの文化であり、土器の出現以前の時代ということから先土器時代と呼んでいます。阿蘇の石器文化は、ナイフ形石器文化に属するもの、細石器文化に属するもの、両文化にまたがるものがあります。
これらの石器は狩猟生活に使用した狩猟用具の一部であり、哺乳類などの動物を求めて活動した先土器時代人の足跡を想像することができます。

二、縄文時代

縄文時代は約1万年前から約2300年までの約8000年間で、早期から晩期まで5時期に区分していますが、先土器時代の分布状態を踏襲しながら、外輪山一帯に分泌しています。
しかし遺跡数が多いのは早期と晩期で、中期は極めて少ない。中期のこのような減少が何を意味するのか、現在のところよく解明できていません。
阿蘇は九州の中央部に位置することから、四方に流れる河川の分水嶺となっています。このことは各地からの文化が、河川をさかのぼって伝播できるという特色を持つことになり、東西南北の四方からの文化が、外輪山の周辺にたどり着くことができるということになります。例えば白川を遡った顕著なものとして、曽畑式土器があります。この土器は九州の西海岸を中心に南北に広く分布し、北は朝鮮半島から南は沖縄本島まで広がる国際色豊かな文化です。宇土市曽畑貝塚で最初に発見されたことから曽畑式土器と呼ばれているこの土器は、阿蘇外輪の西斜面の西原村に大規模な遺跡があります。またこのような海との関係が深いものとして、長陽村東所原から土器製作台として使用したクジラの脊椎骨のスタンプが付いた土器の底部も見つかっています。
その他、波野村の千部塚遺跡からは、轟式土器、晩期の土器とともに瀬戸内地方の船元式土器の影響の強い土器片が見つかっています。おそらく大野川を遡った文化の伝播であろうとされています。

三、弥生時代

縄文時代も含めてそれ以前は狩猟・漁撈(ぎょろう)の生活であり、縄文時代の終り頃になると北部九州から波及してきた稲作による生産活動が始まり、弥生時代に移行していきました。阿蘇地方では弥生前期末ごろからその影響が見受けられます。中期後半なると阿蘇町前田遺跡から黒髪式土器を伴う円形住居跡、西原村谷頭遺跡から方形と円形の住居跡が発掘調査されました。とくに谷頭遺跡では磨製石鏃を製作した工房後も見つかっています。磨製石鏃は青銅製の(やじり)(銅鏃)を模して作られた鏃です。青銅器文化の影響を強く反映したものだということをができるものです。
後期になると、土器洋式の中に地域色のあるものが形成され、阿蘇地方固有のもの、肥後タイプのもの、豊後タイプのもの、豊後タイプのものの3タイプが認められています
阿蘇地方固有のものは阿蘇山の東斜面~大野川中流域にかけて半月形に分布します。尖底で独特の突帯をもつ甕形(かめがた)で短期間に出現・消滅します。
肥後タイプのものは黒髪式、野部田式が主体で、ほかに人吉・球磨地方に中心をもつ免田式が若干認められています。黒髪式や野部田式は白川を遡り、カルデラ内に流入し、さらに外輪山の東斜面へ広がったものと推測されます。黒髪式は北部九州の須玖式の影響を受けながら肥後で形成されたローカル色のある土器で、┌字口縁の壺や甕形土器に「ノ」字突文など付くもので、最初に発見され地名から黒髪式の名がついたものです。野部田式は後期末を代表する洋式で、同じく北部九州の西新式の影響を強くうけた土器で、甕形はどうの長い卵形を呈しています。免田式は特に壺形土器がユニークで、細長の頚部に腹部で「く」の字に折れ、不安定な尖り気味の丸底をなしています。頚部の付け根から腹部の上端に数条の沈線をめぐらし、その下に重弧文等をめぐらすことから重弧文等をめぐらすことから重弧文土器とも呼ばれています。
この時期はちょうど3世紀ごろに当たり、遺跡の規模が急激に大きくなる時期でもあります。県下ではこの時期の遺跡は200ヵ所近くあり、方保田東原遺跡(山鹿市)、諏訪原遺跡(菊水町)、西弥護免遺跡(大津町)、二子塚遺跡(嘉島町)、本目遺跡(免田町)などよく知られています。この時期になるとカルデラ内の微高地などに遺跡が広がり、カルデラ内への本格的定住が行われる時期といえます。

青銅器の流入

弥生文化の特色は稲作のほかに、金属器の使用、階級分化の発生など縄文時代とは大きく異なった文化である。金属器では鉄器が弥生前記から登場し、利器や工具として使用されるようになった。天水町斎藤山遺跡からは前記の異物に伴って鉄斧が見つかっており、これは日本最古の鉄斧として注目されるものです。
青銅製品についても大陸から流入し、やがて国産の製品が作られるようになってきた。熊本県では約50遺跡から70点を超える青銅製品が見つかっています。
阿蘇地区では南小国町市原天満宮所蔵の銅才、下山西遺跡のすぐ近くで、豊肥線建設工事で見つかった乙姫の銅才などが古くから知られていました。近年でも阿蘇市狩尾の工事現場から銅鉾片が発見されましたが、いずれも出土状況が不明なのが残念です。出土状況がわかっているものは下山西遺跡の内行花文鏡、南阿蘇村久木野無田原の方格規短鏡などである。これらの青銅製品は白川ルートと筑後川ルートが想定できると考えられます。

四、古墳時代

阿蘇地方を代表する古墳文化は中通古墳群です。前方後円墳二基を中心に大型の円墳が並ぶ姿は阿蘇に君臨した豪族の力を充分に物語るものです。しかしこの古墳群の発生は四世紀の後半です。弥生時代の終りから一世紀半の空白があるのはなぜでしょうか?
平成二~三年度に久木野村で圃場整備事業に伴った発掘調査が、熊本県文化課で行われました。従来この南郷谷地区では古墳時代の遺跡は少ないといわれていましたが、この調査結果によって、弥生時代から古墳時代へ移行する状況が解明できました。熊本県にとって重要な遺跡であると判断され、久木野村ご当局の理解と協力によって、平成5年3月1日県指定史跡となった遺跡です。村として遺跡を公有化し史跡公園として整備に取り組んでいます。

熊本県下の前方後円墳(墳長70m以上)

古墳名所在地総長墳長後円経後円高前方幅前方長前方高
1長目塚阿蘇市一の宮町中通129111.559.59.930521.8
2天神山宇土郡野鶴町桜畑1106614429
3双子塚鹿本郡鹿央町岩原13910757848487.1
4中の城八代郡竜北町野津121985713684813
5スリバチ山宇土市神合町水谷966411158
6向野田宇土市松山町向野田8653.7833.54
7姫の城八代郡竜北町大野11485379504610
8藤光寺玉名郡岱明町高道8535950
9院塚玉名郡岱明町開田957843626353
10亀塚山鹿市方保田塚ノ本7328414.6453
11高熊鹿本郡植木町天神平72445.529353
12物見櫓八代郡竜北町野津7038829366
13上蔵掛塚A阿蘇郡一の宮町中通65.533.75.526.731.83.8
14江田船山玉名郡菊水町瀬川7762411040257.5

※県内の前方後円墳は63基 墳長60m以上20基

参考

阿蘇ー自然と人の営みー

カテゴリ : 文化・歴史
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