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古坊中

概要

かつて阿蘇山上は山岳仏教(さんがくぶっきょう)一大霊地(いちだいれいち)でした。
その起源は、再栄読師が健磐龍命(たていわたつのみこと)の姿として彫った十一面観音(じゅういちめんかんのんぞう)を火口の西側の巌窟(がんくつ)に祭った御堂(西厳殿寺)を中心に、その堂の周囲に行者や宗徒たちが坊や(いおり)を建てたものです
これらの坊庵群(ぼうあんぐん)は、中世には「坊中(ぼうちゅう)」や「阿蘇山」と呼ばれ、近世以降には「西厳殿寺」と呼ばれました。
阿蘇中岳、山上広場と草千里の間に「古跡坊中聖霊供養塔」が立っていますが、そのあたりに、かつて三十六坊五十二庵(三十七坊五十一庵という説も)の寺院と住居などが建ち並んでいました。
「坊」とは僧侶や彼らの居住する坊舎、参詣者(さんけいしゃ)の宿坊などを含む全体の呼び名で、これらの集まりが「坊中(ぼうちゅう)」です。そこでは常時300~400人の修行憎(しゅぎょうそう)がいたと伝えられています。
そして、僧侶たちの読経(どきょう)が流れ、山伏たちの吹き鳴らすほら貝の音があたりの山々に響き渡り、多くの参詣者で賑わったといわれています。
しかし、天正年間(てんしょうねんかん)(1573~1592)、豊後の大友氏(おおともし)、薩摩の島津氏(しまづし)らの戦乱(せんらん)に巻き込まれ、兵火(へいか)にあい消滅したといわれ、その後、加藤清正(かとうきよまさ)慶長年間(けいちょうねんかん)(1596~1615)、古坊中再興(さいこう)を図り、今の阿蘇駅のあたりに多くの坊舎を移しました。
その時から山上を古坊中(ふるぼうちゅう)、現在の阿蘇駅周辺を麓坊中(ふもとぼうちゅう)(新坊中)というようになりました。
約850年あまり続いた古坊中も現在、梵字(ぼんじ)の刻まれた板碑(いたび)に往時の面影を(しの)ぶばかりですが、熊本県の調査報告書「古坊中」によると、草地改良以前の昭和30年代までは、上空からは土塁(どるい)によって1区画100~300坪に区画された(あと)がくっきりと浮かび上がって見えたそうです。
また、阿蘇山上神社隣接(りんせつ)して、再建(さいけん)された阿蘇山上の西巌殿寺では今日でも熱心な信者が(つど)い経を唱えています。

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カテゴリ : 文化・歴史

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