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噴火活動

概要

中岳の噴火活動(ふんかかつどう)

中岳は、日本で最も古い噴火記録(ふんかきろく)が残っている火山で、553年以来、多くの噴火記録が残されています。

噴石(ふんせき)がみられる噴火(ふんか)としては「阿蘇山上奇瑞記(あそさんじょうきずいき)」に見出せます。「暦仁元年(りゃくにんがんねん)(1238)12月26日、黒煙大小石上る」の記録が最古のようで、近年では昭和8年(1933)二月の有史以来最大規模(ゆうしいらいさいだいきぼ)といわれる噴火で第二火口の南西方向約150メートルの火口縁に落下した「丸昭八」と名付けられた噴石は直径約4メートルほどあり、同火口の西方約450メートルの斜面に落下した「平昭八」と名付けられた噴石は7×6メートル、厚さ約1メートルほどありました。
また、昭和33年(1958)や昭和54年(1979)の噴火では低温火砕流(ていおんかさいりゅう)も発生し、火口周辺では死傷者(ししょうしゃ)も多数出ています。ただ、溶岩を流出するような噴火は有史以来(ゆうしいらい)一度もありません。

中岳のマグマだまりは、火口の西方にある草千里付近の地下約6キロのところにあって、半径約3キロの球形。そこから火道が火口までのびて、火道は常時開いており高温の火山ガスが供給され続けているらしく、それに伴う火山性微動(かざんせいびどう)常時発生(じょうじはっせい)しています。

昭和7年(1932)以降の中岳の噴火は、7個ある小火口のうち、そのほとんどが第一火口で起きており、噴火に至る(いたる)過程(かてい)もだいたい分かっています。通常、火口底には緑色をした60度前後の湯だまりがあり、水蒸気(すいじょうき)を主体とする白煙(はくえん)を上げていますが、この湯だまりが小さくなるとマグマ上昇の兆し(きざし)です。マグマの熱で湯が蒸発(じょうはつ)するからで、そのうち湯と土砂を爆発的(ばくはつてき)噴出(ふんしゅつ)し始めます。ついに湯だまりが消滅(しょうめつ)して火口底が露出(ろしゅつ)し、ときに噴気孔(ふんきこう)が赤熱して見えてきます。ここまでくると噴火は時間の問題で、火口底の一部に火孔がひらき灰褐色(はいかっしょく)の火山灰を継続的(けいぞくてき)または短い間隔で噴出するようになり、火炎現象(かえんげんしょう)も見られ、ときには火柱が見られることもあります。その後は火山灰の噴出程度で終息することもあれば、赤熱した噴石を伴う激しいストロンボリ式噴火に発展するすることもあります。また、雨で大量の土砂が流入して火口底に堆積(たいせき)閉塞状態(へいそくじょうたい)にあったりするとエネルギーが蓄積して水蒸気爆発(すいじょうきばくはつ)が起きたり、低温火砕流(ていおんかさいりゅう)が発生することもあります。
火炎現象後どのような噴火になるかはその時の状況によって異なり正確に予測することは難しく、中岳は1~2年の活動期と数年の静穏期(せいおんき)を交互に繰り返しており、このような状態は少なくともここ1500年間は続いているとみられています。

噴火活動と動植物への影響

阿蘇中岳の噴火では大量の火山灰を噴出(ふんしゅつ)することもしばしばで、阿蘇では火山灰を「ヨナ」と呼び「ヨナが降る」と言っています。阿蘇での過去約一万年間の火山性堆積物(かざんせいたいせきぶつ)のほとんどが中岳からの火山灰によって形成され、大量の火山灰噴出は古くから中岳噴火の特徴になっています。火山灰は、上昇するマグマ先端部が冷却され、破砕(はさい)されてでき、ガラス片や造岩鉱物(ぞうがんこうぶつ)結晶(けっしょう)などから構成されています。
中岳のマグマは二酸化ケイ素(にさんかけいそ)含有率(がんゆうりつ)が54%程度の安山岩質(あんざんがんしつ)です。火山灰は通常灰褐色(つうじょうはいかっしょく)をしていますが、噴火の初期段階には火口底や火道壁の岩石が取り込まれて全体的に白くなることもあります。
火山灰は粒子が細かく、いろんなものに付着し易く、植物の葉や茎にセメントのように付着して、光合成が阻害(そがい)されるため、発育不良や枯れたりする。昭和54年(1979)6月からの中岳の噴火では8月までの2か月間に約400万トンもの火山灰が降り、キャベツ・ハクサイ・ダイコン・トマト・ピーマン・などの野菜が全滅しました。トウモロコシ・クワ・イネ・タバコなどへの被害もあり、被害総額は7億円余りにも及びました。また火山灰には、空気中の水分や雨水に溶けてフッ酸、塩酸、硫酸となるような可溶性成分が多く含まれているため、これらの成分のために植物が枯れてしまうこともあります。火山灰にはそのほか亜鉛・カドミウム・水銀などの重金属も相当量含まれています。牛馬が火山灰の付着した草を食べると下痢をしたり、妊娠していると流産したりすることもあります。昭和22年(1947)5月26日の噴火では南郷谷方面への降灰で放牧中の牛馬200頭余が斃死(へいし)しました。また、平成元年の噴火では、火山灰で白川が白濁(はくだく)し大量の魚が死にました。
噴火の動植物への影響は、火山灰だけではなく、同時に噴出する火山ガスにもあります。
火山ガスには水蒸気のほかに、フッ化水素、塩化水素、二酸化硫黄、硫化水素、二酸化炭素、窒素、水素、アルゴン、ヘリウム、一酸化炭素などが多く含まれています。火山ガスは火口周辺だけでなく、いわゆる「ガス道」を通って流れ下り拡散します。中岳では古坊中から草千里ヶ浜と、仙酔峡を下る二大コースがあり、このコースに当たる場所には火山ガスに強いイタドリミヤマキリシマ、アセビなどがかろうじて生育しています。
偏西風帯(へんせいふうたい)に属する日本では高く噴出した火山灰は、その影響を受けて東側に偏る傾向があり、火山灰が堆積した火山灰土は、黒色から黄褐色(こうかっしょく)まで色調はさまざまです。
灰褐色(はいかっしょく)の火山灰も堆積(たいせき)後時間が経過すると含まれている鉄分が酸化してしだいに赤くなり、「赤ボク土」と呼ばれるものになります。ところが植物が生育して腐食(ふしょく)が混じると黒っぽくなり、「黒ボク土」と呼ばれるものになる。即ち、黒ボク土は植物が関与してできたもので、黒ボク土層が厚いということは、それだけ植物の生育期間が長かったということで、噴火の長い休止または火山活動の静穏(せいおん)を意味している。一方、厚い赤ボク土層の存在は反対に長期にわたる活発な噴火活動があったことを意味しています。黒ボク土層や赤ボク土層の数から、過去約6300年の中岳の大規模(だいきぼ)な噴火は、およそ500年周期で起きていることが分かります。
中岳噴火に関する記録は古文書などにも多くみられ、「九州の火山噴火史」(福岡管区気象台)や「日本活火山総覧」(気象庁)などに整理されています。中岳噴火による動植物への主な被害の概要は以下の通りです。

噴火時期主な噴出物被害の概要
文永11年(1274)噴石水枯渇・田畑崩理
永禄5年(1562)砂石・硫黄白川水濁・衆魚皆死す
天正12年(1584)火山灰田畑荒廃
安永年間(1772~1780)火山灰農作物
文化12年(1815)火山灰・噴石田畑荒廃
文政10年(1827)火山灰原野荒廃
文政11年(1828)火山灰・砂田畑荒廃
昭和2年(1927)火山灰農作物
昭和4年(1929)火山灰農作物・牛馬
昭和8年(1933)火山灰・噴石農作物・牛馬流産・河川の魚かなり死ぬ
昭和14年(1939)火山灰農作物(タバコ・とうもろこし・イネ)
昭和15年(1940)火山灰農作物
昭和22年(1947)火山灰・噴石農作物・牧草・牛馬200頭噴石で死ぬ
昭和28年(1953)火山灰農作物
昭和49年(1974)火山灰農作物
昭和52年(1977)噴石農作物
昭和54年(1979)火山灰農作物
平成元年1989火山灰農作物

中岳爆発による人身事故

中岳は活動中の火口が直接のぞける世界でも数少ない活火山で、訪れる観光客も多いのですが、噴火予知の困難(こんなん)さから、これまで死傷者(ししょうしゃ)も数多く出ています。
ことに爆発は、噴火と異なり、突発的で、噴石を高速で飛ばします。
昭和54年(1979)9月6日の爆発では、火孔底(かこうてい)での初速は秒速108メートルもあり、爆発のエネルギーは1トン爆弾約400個分にも匹敵(ひってき)しました。

中岳噴火による人身事故の古い記録としては、安政元年(あんせいがんねん)(1854)2月26日の噴火で参拝者(さんぱいしゃ)3人の死亡記録があり、次に明治5年(1872)12月30日の噴火で硫黄採掘者が数人死亡しています。大正時代には人身事故の記録は見当たりませんが、昭和になると急増します。近年、火口周辺での火山ガス吸引による死亡事故が目立っています。死因と火山ガスとの直接の因果関係は必ずしも明確ではありませんが、火山ガスが誘因であることは否定できません。平成元年2月12日、1人。同2年3月26日、1人。同4月18日、1人。同10月19日、1人。同6年5月29日、1人。同9年11月2.日、2人。となっています。

画像

映像

噴火を想定した防災訓練


カテゴリ : 阿蘇の自然
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