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夜峰(よみね)と楢山(ならやま)

 阿蘇の五岳(ごがく)は東の方から、根子岳(ねこだけ)・高岳(たかだけ)・中岳(なかだけ)・往生杵島岳(おうじょうきしまだけ)・烏帽子岳(えぼしたけ)と連(つら)なっています。そして、往生・杵島の北側のすそ野には米塚(こめづか)や楢山があり、また西のはずれに夜峰という円すい状の山があります。

 それらの山々には、それぞれ健磐龍命(たけいわたつのみこと)ゆかりのお話が伝わっているのです。まず夜峰のことからお話しましょう。健磐龍命のお妃(きさき)・阿蘇都媛(あそつひめ)がお産をされる時のこと。媛のお願いで命は一夜のうちにこの山を築かれたといいます。身重(みおも)のお姿を人に見られるのを嫌われ、山のかげに産所(さんじょ)を設けて身を隠されたのです。夜峰というのは一夜のうちに造った峰という意味になります。この夜峰が壊れないように、とめ釘(くぎ)をお打ちになりました。後に、人々はその地を「久木野(くぎの)」と呼ぶようになったといいます。久木野は夜峰の南東の方角にあたります。

 また、杵島岳すそ野に楢山というところがあり、次のような言い伝えがあります。ある男が楢山に登ったときのこと。杵島岳の中腹あたりにそびえ立っている岩壁(がんぺき)の上に、目を見張るような美しい月毛(つきげ)の馬が現れ、岩から岩に飛び移りながら駆け回るのを目のあたりにしました。馬はどこからともなくやって来て、その美しい姿を見せながら山里や田畑の周りで遊んでいるのを見かけたというのです。このことから、あれは神の使いの馬、神馬(じんめ)だと人々はいうようになったとあります。

 神馬といえば、往生・杵島をわが庭と弓や馬の稽古(けいこ)に駆け巡ったといわれる健磐龍命、阿蘇大明神のことが浮かんできます。一説によると、大明神は鶴に乗って空を駆けておられたと言い、この神馬の話に重なってくるようです。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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