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大阿蘇発電計画

概要

この計画は、昭和23年1月に国民経済安定本部による大阿蘇発電計画として立案され、東外輪山外側の大野川の上流の草原に「平川貯水池」と「大蘇貯水池」、北外輪山外側の筑後川上流の草原に「仁禮貯水池」と「押戸貯水池」をつくり、ここで集めた水をパイプで引いて阿蘇谷に設けた「内牧発電所」に落とし、そして立野の下流に「瀬田発電所」を建設しようとするものです。
多くの学者や専門家が関わっていたが、その一人として戦前、海外で巨大な水豊ダムなど数多くのダムを手がけてダムの神様と呼ばれた久保田豊氏も関わっていました。久保田氏は少年期を一の宮町宮地の化粧原で過ごし、現在も旧居跡が残されており一の宮町の名誉町民です。
貯水池の総貯水容量は、290万トン~1080万トンで、発電所の規模は内牧が最大13,800㌗で、常時3,800㌗となっています。瀬田は最大22,200㌗で、常時5,900㌗となっています。そして、この発電に使用した後の水を菊池大地、託麻台地に導いて7,000㌶の畑地を灌漑するという遠大な構想でした。
しかしこの計画は、大分県側の大野川分水反対論の前に、机上プランのまま立ち消えになりました


大蘇ダム

参考

阿蘇一の宮町史 阿蘇山と水

カテゴリ : 阿蘇の自然
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