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宗不草歌

「内之牧朝闇いでゝ湯にかよふ道のべに聞く田蛙のこえ」不旱

 宗不草(そうふかん)は、本名を耕一郎、明治十七年五月十四日、熊本市上通町の農蚕具を手広く販売する家の長男に生まれた。家は代々鹿本郡来民町の旧家で、祖父母が来民に住んでいたので、幼少の頃からここで育ちました。十九歳で熊本の医学校へ入学、この頃から文学に親しみました。
 21歳で医学校を中退して上京、ここで歌人の窪田空穂を知り、短歌作りに力を注ぐようになった。
 大正元年、29歳で朝鮮に渡り、以来十年を越える中国大陸放浪の旅が始まり、この間硯作りの技術を学んで、終生の生活の糧としました。

 著作には「筑摩鍋」(つくまなべ)と「茘支」(れいし)の二冊の歌集と万葉集研究家であったことから「新釈柿本人磨歌集」がある。
 この歌碑の歌は、昭和17年5月、中風にかかった不自由な体で、内牧の達磨旅館に泊ったのち、鞍岳山中に消息を絶ったが、その折に「相対如夢寐」と共に書いたもので、不旱の59年の生涯の絶筆となったものです。

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カテゴリ : 文化・歴史
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