小学校/内牧小学校区
更新日: 2010-03-20 (土) 17:12:44 (5122d)
内牧小学校区の紹介
内牧(うちまき)小学(しょうがっ)校区(こうく)は、江戸時代、熊本のお殿様(とのさま)が参勤交代(さんきんこうたい)の時に宿泊(しゅくはく)した「内牧御茶屋(うちのまきおちゃや)」があり、現在(げんざい)も観光地阿蘇(かんこうちあそ)の宿泊地として発展(はってん)している温泉街(おんせんがい)で、今も昔も人々(ひとびと)の交流(こうりゅう)が絶(た)えません。
県の重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定(してい)されている虎舞(とらまい)(成川(なるかわ)・折戸(おりど))は有名(ゆうめい)です。折戸地区では、地域(ちいき)おこしの一環(いっかん)として、後世(こうせい)に伝(つた)える取(と)り組(く)みがなされています。
文学碑(ぶんがくひ):夏目漱石(なつめそうせき)『二百十日(にひゃくとおか)』寄稿(きこう)の宿(やど)
夏目漱石は、『坊(ぼ)っちゃん』『草枕(くさまくら)』などを書いた、有名(ゆうめい)な小説家(しょうせつか)です。英語教師(えいごきょうし)として約4年間、熊本に住(す)みました。
阿蘇に関係(かんけい)する小説は、『二百十日』があります。この物語(ものがたり)には、阿蘇の自然(しぜん)や阿蘇特有(あそとくゆう)の天候(てんこう)の変化(へんか)が見事(みごと)に描写(びょうしゃ)されています。
漱石が阿蘇で宿泊したのが、今のホテル山王閣(さんのうかく)です。
樹齢(じゅれい)400年の右馬允さんの杉
内牧温泉から大観(だいかん)峰(ぼう)への登口(のぼりくち)の小高(こだか)い所に、遠くからも目立(めだ)つ杉(すぎ)の巨樹(きょじゅ)が立っています。この木は、加藤清正(かとうきよまさ)の家臣(かしん)の加藤右馬允(かとううまのじょう)の墓標(ぼひょう)と伝(つた)えられています。
加藤右馬允は、近江国(おうみのくに)(滋賀県)に生まれ、天正(てんしょう)16年6月(1588)に重要(じゅうよう)な拠点(きょてん)である内牧城(うちのまきじょう)の主(あるじ)として訪(おとず)れ、領民(りょうみん)から大変(たいへん)慕(した)われていたそうです。
もともと杉の木は、2本が対(つい)になっていましたが、平成3年の台風(たいふう)で1本が倒(たお)れ、1本杉になってしまいました。
菅原神社
菅原神社(すがわらじんじゃ)の氏子(うじこ)は、内牧1区から5区までの年番(ねんばん)で祭典(さいてん)にあたっています。祭典は、3月21日の春祭(はるまつり)、9月15日の例祭(れいさい)、11月23日の秋祭(あきまつり)とし、その他に元旦祭(がんたんさい)・建国祭(けんこくさい)・天長祭(てんちょうさい)・明治祭(めいじさい)などが行われているそうです。
また、校区にある西湯浦八幡宮(にしゆのうらはちまんぐう)で行われている七夕祭(たなばたまつり)りは、千年以上(せんねんいじょう)の歴史(れきし)があります。