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旧内牧町

かつて、阿蘇家の家臣辺春丹波守盛道が現在の内牧小学校の地に築城して、一帯を治めていましたが、天正2年(1574)島津義久が攻め入り、城主盛道は自刃して落城しました。
その後加藤清正が家臣加藤右馬允を内牧城主にあてています。
寛永9年(1632)加藤氏に代わって細川氏が肥後藩主となり、豊後の一部をあわせて阿蘇地方を9手永80余村に分け郡代を内政に置いて以降、内牧手永に属していました。
明治7年(1874)、第11大区第1、第2小区に属しましたが、その後内牧、分内牧、成川が合併して内牧村に、折戸、宇土が合併して三久保村となります。12年には三久保村と内牧村で1行政区域を、小里、西小園、西湯浦、湯浦、南宮原5ケ村で1行政区をなしました。17年には、7ケ村で行政区域をなし、22年の町村制の施行にともない、7ケ村が合併して内牧村となり、39年に町制を施行しました。
なお、31年にはこの地に温泉が掘削されました。

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