ホーム > 春牧中学校

春牧中学校

概要

昭和22年の新制中学制度発足において、宮地町阿蘇農業高校(現阿蘇中央高校清峰校舎)第二農場校舎(山田村)を借りていた山田中学は、その地で組合立宮地中学校を脱退した中通村と組合立の春牧中学として合体発足しました。昭和25年には校舎も新築されたこの校地は、現阿蘇清峰高校の北北西の田地の中にあり、中通村と近接する山田村東端に位置していました。両村は阿蘇谷中央北側に位置し、宮地・内牧・黒川とも距離があり、小規模ながら2村組合立の中学が設立されました。
ところが昭和28年の県庁村合併基準委員会議の合併試案は、阿蘇谷の町村を宮地・坂梨・古城・中通と、内牧・黒川・尾ヶ石・山田の二郡に分け、合併を求めました。山田・中通二村では、合併したとしても5,000人弱の人口に過ぎず、合併基準に達しないのでやむを得ないことではあった。この流れの中で、山田村に内牧・尾ヶ石との合併機運が生じたが、中通村としては地理的に同調できず、宮地町との合併になったのです。
この時、春牧中学校は廃校とはならず、合併の一の宮町・阿蘇町の組合立という形で存続し、事務局は両町間で交互二年ごとの持ち回りとされました。町村合併が組合立を廃する方向で指導されていた中でのことである。そして旧二村の生徒は春牧中学だけでなく、町内の一の宮中学、阿蘇北中学の通学を選択することも認められました。
もともと6学級程度であった春牧中学では生徒の増加はなく昭和45年には5学級、46年度には4学級となり47年度には3学級という見通しの下で、47年3月末で廃校となりました。
同校は基本財産として、一の宮町中通の字北山に77,355㎡の造林地を持っていました。廃校に伴い、両町は資産管理組合を設立し、土地は一の宮町に帰属、伐採時には分集を定めた記念碑が現地に建てられています。

碑文

昭和二十二年学制改革ニヨリ同二十三年四月十六日中通村山田村ニオイテ学校組合立春牧中学校ヲ発足、同四十七年三月廃校トナル。ソノ間コノ地ニ同校ノ基本財産トシテ造林スルガ廃校ニ伴イ財産処理委員会ノ決議ニヨリ土地ハ一ノ宮ニ帰属、立木ハ伐採時ニ一ノ宮町四割阿蘇町六割ノ分収トシ、ソノ財産ヲ管理スルタメ、阿蘇町一ノ宮町中学校組合資産管理組合ヲ設立、資産一ノ宮町大字中通字北山二七九六番ノ一、山林七七三五五平方メートルヲ管理スル、ココニ碑ヲ建テ当時ノ一旦ヲ記ス。 昭和六〇年九月吉日

裏面

組合長一ノ宮町長 佐藤哲了 副組合長阿蘇町長 川崎敦夫 議長 広石武光 副議長 園田武士 監査員 井幸光 監査員 笹原瑞穂

画像

参考

阿蘇一の宮町史 戦後農業と町村合併

カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

このページのURL:

TOP