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条里制と公地公民

宮地には「一の坪」、中通には「9の坪」、三野には「拾六」という数字を含む小字地名があります。この地名は古代の耕地整理である条里制の実施によって名付けられたものです。なぜ数字番号の地名をつけたのでしょうか?公民と呼ばれた農民に土地を与えたり取り上げたりする事務が容易にできるからです。古代の阿蘇谷東部の田地は碁盤目状に区画され、田地にはそれぞれ一町単位で一の坪から三十六の坪までの地番が与えられたとみられます。その一部が現在まで地名として生き残りました。
公民は6歳になると、男は2反、女はその3分の2の田地が与えられ、生活が保証されましたが、死ぬと取り上げられて他の適格者に与えられました。その代わり、彼らは年齢相応の租税・労役の義務を果たさねばなりませんでした。
このような仕組みは班田収授の法といい、中国の隋や唐で実施された律令法制から学んだものです。大化の改新(646年)以来50年の間に、大和朝廷は律令をもとにした政治改革を行い、従来の土地支配者の権利を取り上げ、支配の及ぶ限りの地域で、同じ基準のとちと耕作者の関係を定めました。これは公地公民制と呼ばれ、それまで阿蘇の地と人を治めていた阿蘇国造阿蘇君の権力は失われ、土地も人も中央政府が所有し支配する新しい支配関係が成立しました。冒頭の数字地名はそのことを示しています。

参考

阿蘇一の宮町史 戦後農業と町村合併

カテゴリ : 文化・歴史
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