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杵島岳と往生岳

概要

杵島岳と往生岳は、草千里ヶ浜火山の北にそびえる優美な姿をした火山であり、いずれも玄武岩質のスコリア丘と溶岩流からなる。両火山の間にある鞍部から北西に延びる沢で、往生岳溶岩が杵島岳のスコリアを覆っていることから、往生岳の方が少し新しい火山であることが分かっています。
往生岳は、現在の2万5千分の一の地形図でも山頂の高さが正確には記されていません。往生岳の山頂部北東側に1238.1㍍の三角点がありますが、南側にある火口縁では1260㍍を超えています。
杵島岳の山頂には、直径約250㍍の火口があり、その東側中腹にも「大鉢」と呼ばれる直径500㍍の大きな火口が存在します。その大鉢の中には、「小鉢」と呼ばれる直径150㍍の小さな火口や溶岩ドームらしい地形が認められます。また、大鉢の南側には北に向かって開く半月形の火口壁が見られます。これらの火口の生じた順番は、山頂火口より大鉢のほうが新しく、小鉢が最後に生成されました。
山体はスコリア丘ですが、西や北の山麓からは、溶岩も流出しています。その溶岩は北西に流れ下って、一部は高野尾羽根(京都大学火山研究センター在地)の北の沢にまで達しています。杵島岳の北西側には、同時期に生じたと考えられているスコリア丘の並びがあります。そのうち、東側の列にあるスコリア丘の直径は約120㍍あり、上米塚と呼ばれています。上米塚の西半分を登山道路の赤水線がカットする形で通っているため、スコリア丘の断面を観察することが出来ます。
このように杵島岳は大変複雑な地形をしていますが、噴出物の間には長い時間間隔を示す証拠はなく単成火山です。山頂には東西に並ぶ3個の火口が残っています。溶岩流は北側に広い溶岩原をつくり、その一部は国道57号線を越えて阿蘇谷に広がっています。

山名の取り違え

かつて杵島岳と往生岳の名前は、現在とは逆でした。1900年代の初めまでに書かれた文献では、1900年代の初めまでに書かれた文献では、現在の往生岳杵島岳で、現在の杵島岳往生岳と記されています。
しかし、明治38年(1905)に「大日本帝国陸地測量部」が作成した地図で逆になって以来、現在に至るまで国土地理院の発行する地形図でもその名前が踏襲されています。取り違えの理由は不明です。

参考

阿蘇火山の生い立ち

カテゴリ : 阿蘇の自然
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