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機関車

概要

鉄道省が発行した『軽便鉄道宮地線建設工事一覧』には、立野のトンネルの出口で停車した機関車の写真が掲載されています。それを見ると、筑豊鉄道がアメリカのボールドウィン社から購入した3300型のに似ています。勾配線や貨物用に適しており、国有化後は熊本などにも分散、貨物や入れ替え用に用いられていました。しかし、昭和38年(1963)当時、一の宮町宮地小学校が郷土学習のため宮地機関区から提供を受けた資料によれば、ドイツ・クラウス社製の省形式1400といわれるタンク機関車との記載があります。九州の鉄道は私設の「九州鉄道会社」によって始まり、顧問技師ヘルマン・ルムシュッテルをドイツから招きました。そのため車両、レールその他の資材はドイツに発注されました。宮地線を走った1400は九州鉄道から引き継いだものです。大正12年(1923)ごろまで使われ、それから昭和6年ごろまでアメリカのボールドウィン社製のテンダー機関車8550型が使用されたとあります。

七五三

当時、七五三で阿蘇神社に参拝後、宮地駅機関車をみせてていたそうです。阿蘇の開拓・農業神を祀る阿蘇神社に「小さな氏子」として詣で、文明の象徴である機関車と対面する。ある時期、それがこの土地の子ども達の「通過儀礼」になっていました。

珍談

1人の老人が赤水駅で6銭の切符を買うのに、1銭だけ負けろと値切るので、駅員が汽車賃は負けるものではないことをかんで含めるように聞かせても、老人は聞き入れず、押し問答をしているうちに記者はゴトゴトと発車してしまいました。また、水前寺駅から宮地駅までの客が駅員に向かって「小銭がないから汽車賃は後払いで願いたい。」と申し出た。そんなことはできないと断ると、財布からしぶしぶ1円札を出して切符を買いました。後払いにしたい理由を聞くと、駅には小銭がなくて、1円では釣り銭がないものと思い込んでいたからでした。
宮地駅から坊中までの乗客10人が汽車の進行中、窓の外の風に切符を放し、ヒラヒラ吹かれているのを見て面白がっていましたが、坊中駅に着き駅の改札で「もう不要だと思い捨てました。」と答えました。
熊本運輸事務所は、後日職員を宮地駅に派遣して鉄道講話を開催し、鉄道の知識普及に務めたそうです。

宮地線開通時の時刻表と熊本駅からの乗車運賃

下り

熊本7:009:5013:1516:1518:5020:50-
大津8:0111:0014:2817:2019:5721:5425銭
立野8:4411:3715:0617:5020:3822:2634銭
赤水9:1012:1315:4218:2521:1422:5942銭
内牧9:3812:3316:0018:4121:3223:1449銭
坊中9:4812:4216:1018:5021:420:2352銭
宮地9:5612:5016:1818:5821:500:3156銭

上り

宮地5:459:1512:1515:4017:4719:30-
坊中5:559:1512:1515:4017:4719:30不明
内牧6:079:3712:3415:5918:0719:52不明
赤水6:249:5112:4916:1418:2520:09不明
立野6:5610:2613:2116:4618:5720:45不明
大津7:2710:5913:5117:2119:2421:20不明
熊本8:1712:0414:5118:1620:2022:25不明

宮地駅から阿蘇神社への人力車賃は10銭、小嵐山までだと25銭。内牧駅から内牧町まで人力車で25銭。坊中駅から阿蘇山への登山案内賃60銭でした。

参考

一の宮町史 豊肥線と阿蘇 ~近代の阿蘇~

カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

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