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歌碑

名称読み場所
夏目漱石ナツメソウセキ阿蘇町・ホテル山王閣
吉井勇ヨシイイサム大観峰
吉井勇ヨシイイサム阿蘇町中央公園
宗不旱ソウフカン道智寺裏黒川河畔
宗不旱ソウフカン阿蘇町・的石隼鷹天満宮境内
松本不二子マツモトフジコ草千里
藤原基長フジワラモトナガ阿蘇町・役犬原
高本紫冥たかもとしめい阿蘇町・宮山吉松宮

与謝野寛・晶子の比翼

与謝野鉄幹_晶子

「霧の色ひときは黒しかの空にありて煙るか阿蘇の頂」…寛
「うす霧や大観峰によりそひて朝がほのさく阿蘇の山荘」…晶子

 昭和7年9月、与謝野寛・晶子夫妻は、末娘の藤子を連れて別府、久住などを巡った後、阿蘇を訪れている。
 霧と雨の中、車で山頂茶屋まで登山のあと、内牧に下り故永田巳平氏宅(現ホテル蘇山郷・永田珠一社長の父宅)に宿泊。
 歌碑はホテル裏庭の木陰に建立されており、夫妻の泊った部屋も保存されている。

吉井勇

吉井勇

「大阿蘇の山の煙はおもしろし空にのぼりて夏雲となる」勇

 吉井勇(1886~1960)は東京生まれ、早稲田大学を中途退学し、与謝野寛の新詩社に加わり、石川啄木らと活躍した。
 大観峰の歌碑は、昭和33年5月、前熊本地方検事正立石幸夫氏や阿蘇町長河崎義夫氏等の手で建てられた。

 

松本不二子

松本不二子

「阿蘇が峰の千里が浜の朝明けの若草原は海の如しも」不二子

 阿蘇山草千里に、葦北郡津奈木町の松本不二子(一九五九年七二歳で永眠)の宮中歌会始入選歌を刻んだ歌碑が建っている。昭和41年春、阿蘇町が建てたもので、不二子の主人敞も入選しており熊本県で夫婦そろっての入選は二組目の快挙である。

 

宗不草歌

宗不旱

「内之牧朝闇いでゝ湯にかよふ道のべに聞く田蛙のこえ」不旱

 宗不草(そうふかん)は、本名を耕一郎、明治十七年五月十四日、熊本市上通町の農蚕具を手広く販売する家の長男に生まれた。家は代々鹿本郡来民町の旧家で、祖父母が来民に住んでいたので、幼少の頃からここで育ちました。十九歳で熊本の医学校へ入学、この頃から文学に親しみました。
 21歳で医学校を中退して上京、ここで歌人の窪田空穂を知り、短歌作りに力を注ぐようになった。
 大正元年、29歳で朝鮮に渡り、以来十年を越える中国大陸放浪の旅が始まり、この間硯作りの技術を学んで、終生の生活の糧としました。
 著作には「筑摩鍋」(つくまなべ)と「茘支」(れいし)の二冊の歌集と万葉集研究家であったことから「新釈柿本人磨歌集」がある。
 この歌碑の歌は、昭和17年5月、中風にかかった不自由な体で、内牧の達磨旅館に泊ったのち、鞍岳山中に消息を絶ったが、その折に「相対如夢寐」と共に書いたもので、不旱の59年の生涯の絶筆となったものです。

 

藤原基長

藤原基長

「いまわとて霜のはふり子いとまあれや阿蘇のみ山に雪の積れる」

 霜宮拝前に建つこの歌碑は、明治17年1月、阿蘇惟敦の肝いりで、役犬原村、竹原村の氏子中が建てたものです。
 碑文によると、今から470年ほど前、藤原基長が、勅使として宇佐に下向した折に詠じた旨、刻されています。
 肥後国学の祖、髙本紫溟に霜宮を詠じた三首がある。

「秋寒し霜のはふり子火焼屋の火たきを止めていとまあらなす」
「子夜ふけてつるぎ抜きもつ宮の子が立ち舞う袖にあきの霜おく」
「火たき屋に六十日こもりて乙女子がほのほの中を今渡る見よ」

 

カテゴリ : 文化・歴史

添付ファイル: file藤原基長.jpg 227件 [詳細] file宗不旱.jpg 261件 [詳細] file松本不二子.jpg 250件 [詳細] file吉井勇.jpg 220件 [詳細] file与謝野鉄幹_晶子.jpg 252件 [詳細]

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