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産牛馬組合

概要

あか牛品種改良が行なわれるなか、それを生産する農家の組織化、販路の確立も進められました。
その中心にあったのが産牛馬組合です。産牛馬組合は公正なセリ市場を開設して、優秀な飼育牛の取引を行いました。

産牛馬組合の設立(園田杵島氏)

明治33年(1900)、法律第20号で「産牛馬組合法」が交付されました。これを機に、各地に組織されていた任意の牛馬組合の大同団結の機運が高まりました。阿蘇でも同年6月、「阿蘇郡産牛馬組合」が設立されました。
組合事務所を旧阿蘇町役場の隣に置き、種付け、種畜以外の去勢、牛馬籍(戸籍)セリの開催(旧阿蘇町折戸)品評会や講習会の開催等を主な事業として手がけました。

業務目的


改良の目的を達成せんには種雄牛を選択し、混交放牧を禁止し、一般雄牛の去勢を励行し、繁殖用の雌牛を精選し、体格は骨相整然躯幹強健乳肉役の各用途に従いこれが改良に努め・・・
戸毎に繁殖用雌牛1頭飼育すべし・・・


この阿蘇郡産牛馬組合の設立が契機となり、その後、球磨地方や鹿本郡、菊池郡など県内各地に牛馬生産組合が発足。それらがさらに大同団結して、明治44年「熊本県産牛馬組合連合会」、大正11年には「熊本県畜産組合連合会」へと発展することになります。

園田杵島氏

大正時代、阿蘇郡産牛馬組合の発展のために多大な功績を残した組合長の1人に園田杵島氏(明治6年生まれ、旧坂梨村)がいます。
明治30年、園田氏は24歳の時、種馬購入のため青森県まで出張し、その帰路、岩手県や千葉県の名馬の産地に立ち寄り、馬匹改良の実績を視察しました。帰熊した後、坂梨や古城、波野、産山をブロック化して「蘇東畜産組合」を組織しました。また、牛馬のセリ場を開き、畜産界の近代化を推し進めました。
園田氏は若い頃、家族や知人の猛反発を押し切り、牛馬の仲買人になりました。このときの体験が、のちに業界の発展に大いに役立つこととなります。明治45年、阿蘇郡産牛馬組合(後の畜産会)議員に選ばれ、大正8年に副組合長、同11年には組合長に就任しました。その後、県の産牛馬組合連合会の議員にも当選しました。
大正15年1月、園田氏は競馬界の馬場取締として出熊し、流行中の腸チフスに感染してこの世を去りました。


カテゴリ : 文化・歴史
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