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田植えと「のろ打ち」

 阿蘇地方には、田植えの時、「のろ打ち」という習慣(しゅうかん)がありました。農業の神様である健磐龍命(たけいわたつのみこと)は、阿蘇地方の百姓たちに米作りを教えました。命は、田植えの時期には、他の神様と一緒になって田植えをされ、身分を問わず協力し合うことを教えました。それがいつの間にか、根強く阿蘇地方に残りました。

 田植え時期になると、唯(だれ)言(い)わず田んぼに入って田植えをし、苗を投げたりして男女が戯(たわむ)れることがありました。それがいつの間にか、田植えの近くを通る人に田んぼの土を投げつけ、特に若い男であれば早乙女(さおとめ)たちは土を投げかけて戯れました。これが「のろ打ち」という慣(なら)わしとなって残りました。

 阿蘇の中央に「おすな田」という地名があります。その田んぼの中央におすな塚という小さな塚がありました。おすなとは、村一番のベッピンで、働き者で田植歌(たうえうた)の上手な娘でした。

 ある年、早乙女たちはおすなの歌にあわせて田植えをしていました。その田植えのそばを、上方風(かみがたふう)の若い二人連れの武士が通りかかりました。すると、田の中の早乙女達は、田植えを止めて、めいめいに泥土(でいど)をすくって若(わか)侍(ざむらい)に投げつけました。驚(おどろ)いた若侍は何のことか分からず、呆然(ぼうぜん)となっているうちに、たちまち泥だらけになってしまいました。早乙女たちは大喜びでした。

 この成り行きに若侍は烈火(れっか)の如(ごと)く怒(いか)り、刀を抜いて乙女たちの方へ向かいました。乙女たちは、びっくりして侍の見幕(けんまく)におどろき、クモの子を散らすように逃げました。しかし、おすなは一人残って武士の前に座り詫(わ)びをしましたが、熱(いき)り立った武士には通ぜず、とうとうおすなを斬(き)ってしまいました。

 その夜、宿に着いた武士たちは「のろ打ち」の習慣を聞かされて、大変(たいへん)後悔(こうかい)しました。そして、その田に引き返し、供養(くよう)の塚を築いておすなの霊(れい)を慰(なぐさ)め、深く詫びたといいます。

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参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
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