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内牧五区の秋葉大神

 ここは名代の火伏せの神、秋葉神社の境内で、産声あげし快男児、昭和の御代まで名を残す、遠州森の石松……。
 これは、年配の方ならなつかしく思い出されるでしょう、広沢虎蔵の「次郎長銘々伝」の中の「石松金比羅代参」の冒頭の部分です。
 先月号でもふれましたが、昔は火事が多く、それがすぐ大火になるので、遠州、今の静岡県が大本山の火伏せの神、「秋葉山神社」をお祭りしました。
 町内にも、それを反映して今わかっているだけでも、二十一ありますが、内牧五区のこの碑石は大きく立派です。建立は、明治八年三月と刻されています。

火除けの碑

 昔の家は、屋根は萱や藁でふき、柱や壁は木材であったので火災が多く、いったん出火すると忽ち町中に広がりました。
 内牧も例外ではなく、江戸時代たびたび火災に見舞われたことから、町内四ヵ所に防火帯を設け、この碑を建てました。時代ははっきりしませんが、江戸時代末期と思われます。

新町薬師前
火除面口六間一尺
満徳寺
火除面口九間
旧御茶屋前(現信用組合前)
田町筋北側五間南側三間家造禁制
旧内牧会所前(役場前)
会所前横道ヨリ南側拾間家造禁制

徳富蘇峯大観峰命名碑

 文学碑というには少し無理があるが、この碑の裏面には蘇峯自作の漢詩が刻まれている。

  • 屏列群峰作外輪天成畫本比披陳
  • 一邱一壑何須
  • 請看蘇山面目真

    徳富蘇峰
     蘇峯は本名を猪一郎と言い、文久三年水俣に生まれた。
     熊本洋学校から同志社に学び、新島襄に師事、明治十九年「将来の日本」と言う論文で一躍天下に名を知られた。
     雑誌「国民の友」を、次いで「国民新聞」を発行、自由、平等、平民主義を標ぼうして若者に人気が高かったが、次第に帝国主義的国家主義に傾斜していった。
     昭和十二年第一回の文化勲章を受けた。
     大正十一年五月、遠見ヶ鼻に登り、当時の小島内牧町長の要望により「大観峰」(たいかんぼう、だいかんと濁るのは誤りである)と名付けた。



カテゴリ : 文化・歴史

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