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立野火口瀬

概要

火口瀬とは、「火口やカルデラの縁の一部が切れて、降水が外へ排出されるようになった谷」のことをいいます。
阿蘇谷に降った雨はやがて火口瀬を通り有明海へと注がれます。

阿蘇のカルデラには、2つの火口瀬があり、国道57号やJR立野駅がある台地は、外輪山を切ってできた谷の中にできていて、この谷が古い火口瀬(古火口瀬)です。もう1つの火口瀬は、現在見られる立野火口瀬で、阿蘇谷からの黒川と南郷谷からの白川が合流する戸下から白川の流れに沿って西に延びています。上流側から見て、白川の右側が中央火口丘群の溶岩、左側が先阿蘇火山岩類(阿蘇火山より古い岩石)でできた北向山です。

古火口瀬付近には、多くの活断層(最近の地質時代に繰り返し活動していることから将来も活動すると推定される断層)があり、中でも2つの断層が目立っています。1つは南西から北向山の北側を通り戸下へ続く北向山断層で、もう1つは大津町付近から東方に延びて火口瀬に入っていく断層です。この2つの断層にはさまれた部分が、東西にのびてまわりより低くなり、火口瀬になったと考えられます。

伝説

大昔の阿蘇は外輪山に切れ目が無く、その中には水がたまって広大なカルデラ湖になっていた。健磐龍命(タケイワタツノミコト、阿蘇大明神)はこの水を無くして田畑を造ろうと考えた。
そこで、外輪山の一部を蹴破ることにした。一度目に挑戦した場所はなかなか蹴破れない。というのもその場所は山が二重になっていているからで、以後「二重(ふたえ)ノ峠」と呼ばれるようになった。

別の場所で再挑戦すると今度は見事に蹴破ることができた。しかし、そのはずみで健磐龍命は尻餅をついてしまって「立てぬ!」と叫んだ。以後その場所は「立野(たての)」と呼ばれるようになった。
また蹴破った場所からは大量の水が流れ出し滝となり、数匹の鹿も流されたことから、以後「数鹿流(すがる)ヶ滝」と呼ばれるようになった。

湖水が引いてくると底から巨大なナマズが現れた。ナマズが湖水をせき止めていたため、健磐龍命は太刀でナマズを切り、ようやく湖水は流れ去ったという。

画像

参考

熊本県

カテゴリ : 阿蘇の自然
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