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立野火口瀬と断層

概要

阿蘇カルデラ壁の唯一の切れ目である立野火口瀬大津町を過ぎて阿蘇への入り口である立野付近へ近づくと、国道57号線やJR立野駅のある大地が、外輪山を切ってできた広い谷の中に形成されています。
この台地は中央火口丘群の溶岩が古い火口瀬に流れ込んだためにできたものです。中央火口丘郡の溶岩が流れ込む前の谷を「古火口瀬」といいます。古火口瀬が出来たのは流れこんできた溶岩の年代よりも古く、また、その溶岩の下には白川の北側に、現在の川底よりもやや深い谷が存在したことも明らかになっています。
古火口瀬を埋めている溶岩流は二枚あり、下の厚い立野溶岩と上の薄い赤瀬溶岩から成ります。立野溶岩は厚さ80~100㍍にも達し、この溶岩が古火口瀬をせき止めました。久木野層は鮎返ノ滝溶岩は水中ではなく通常の陸上を流れた溶岩です。しかも、戸下では立野溶岩に覆われることから、鮎返ノ滝溶岩が立野付近に流下した時にはすでに古火口瀬は開いており、カルデラの内側に湖は存在しなかったと考えられます。鮎返ノ滝溶岩そのものの年代は不明ですが鮎返の滝溶岩より新しく立野溶岩より古い栃ノ木溶岩の年代は約73,000年前です。したがって、約73,000年前よりも前から古火口瀬は開いていたことになります。もし、古火口瀬が阿蘇-4火砕流噴出後に出来たとすれば約9万年前のカルデラ生成から約2万年以内の出来事ということになります。
しかし、次のような事実から古火口瀬が阿蘇ー4火砕流噴火以前に生じていた可能性も否定できません。阿蘇西側の台地にはこれまで阿蘇-4火砕流噴火以降に形成されたと考えられてきた託麻砂礫層が分布しています。
この託麻砂礫層は阿蘇ー2の溶結凝灰岩の巨大礫を含み、礫の摩耗も少なく、オレンジ色に風化した阿蘇ー4の軽石片を均一に含んでいます。託麻砂礫層が立野火口瀬を扇の要のように広がっています。

立野付近には、多くのリニアメントや活断層があります。
その中でも2つの断層が目立ちます。一つは、南西から北向山の北側を通り戸下へ続く北向山断層です。この断層は落差約200㍍の北落ちの正断層で、活断層とされています。もう一つは、大津町付近から東方に伸びて立野火口瀬に入っていく南落ちの正断層です。これら2つの断層は古立野火口瀬の部分を低くするように動いており、これらの断層が立野に火口瀬をつくりだした大きな要因と考えられます。
また、断層は地震とともに間欠的に動き、浸食作用とも相まって、カルデラ壁を決壊させたものと考えられています。

参考

阿蘇火山の生い立ち

カテゴリ : 阿蘇の自然
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