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葬儀

 死は、人生最大の不幸にして、近隣や親戚(しんせき)はもちろん、隣(となり)近所(きんじょ)相(あい)集(つど)いてその死を悲しみます。
死の確認が終わると、通夜(つや)(夜(よ)とぎ)・葬儀(そうぎ)一切(いっさい)を組内(くみうち)、いわゆる葬式組(そうしきぐみ)が執(と)りしきっていました。
「田舎に他人なし」「遠い親戚より近くの他人」とはよくいったものです。
阿蘇地方では、葬儀は葬式組によって行われてきました。

死の予兆(よちょう)(前ぶれ)

 「めん鳥が鳴いたときは死人がでる」「烏鳴きが悪い」「火の玉が飛んだときは死人がでる」とも。
死者は仏壇のある部屋へ移し、北枕(きたまくら)にして安置(あんち)します。
死者には必ず近親者(きんしんしゃ)がつき、離れてはなりません。
枕元(まくらもと)には一本花(いっぽんばな)、一本(いっぽん)線香(せんこう)を立てます。
神棚(かみだな)には扇(おうぎ)をさかさまに、又は白紙で隠します。
直ちにお寺へ知らせて僧侶(そうりょ)に来てもらい、お経(きょう)をあげてもらいます。これを枕(まくら)経(ぎょう)といいます。

便(たよ)り附(つ)け

2人1組で凶報(きょうほう)を身近な人へ知らせます。その距離や範囲は組(くみ)であらかじめ定めてあります。

枕飯(まくらめし)

死者に供える枕飯は余してはいけないといわれ、茶碗1杯分のご飯を炊き、箸は1本立てます。

通夜(夜とぎ)

僧侶の枕経が終わり、死者を偲(しの)び近親者・知人相集い、夜更(よふ)けまで死者をにぎやかに追想(ついそう)します。
接待は葬式組で執しきります。
目覚(めさ)ましとして酒・握(にぎ)り飯(めし)・芋(いも)煮(に)しめ等が霊前(れいぜん)に供(そな)えられます。
目覚料(めさましりょう)でもよいとされています。

湯潅(ゆかん)

通夜、夜とぎ客が帰ったら、死者の近親者の手で「ユカン」が行われます。
ユカンは、たらいの中の水の上に湯を加えたものです。
ユカンをする時は、死者に必ず声を掛けてから起こし、身体を入念(にゅうねん)に洗います。
水や湯を注ぐときは、柄杓(ひしゃく)の右側から注ぎます。ユカンに使った水は、畳をはいで床下に流します。

入棺(にゅうかん)

死者が付ける着物は逆さまにして左前にして着せます。
死者には六文(ろくもん)銭(せん)をもたせ、これを冥土(めいど)の渡(わた)し賃(ちん)といいました。
入棺するとその空間には、モミ殻(がら)を詰めた袋を入れて死体が動かないようにしました。また、死者が生前(せいぜん)愛用(あいよう)したものを一緒に入れました。

葬式(そうしき)、おとぎ、野辺(のべ)送(おく)り

葬式は死亡の翌日に行うのが普通ですが、友引(ともびき)の日を避ける風習(ふうしゅう)もありました。
出棺(しゅっかん)には僧侶・近親者・知人友人が相集い、しめやかに行なわれます。
出棺前には、死者との最後の食事の別れとして、おとぎの座(ざ)が設けられます。
葬式組の女性の手により、飯炊(めした)きから配膳(はいぜん)の準備、後片付けまでの一切が行なわれます。
出棺から墓地(ぼち)までは、葬式組の男手により葬列(そうれつ)が組まれ、日没後(にちぼつご)に行なわれます。
※明治35年(1902)10月の葬儀・野辺送りの例(宮地(みやじ)村(むら)仲町(なかまち)葬儀(そうぎ)記録(きろく)による)
池掘(いけぼ)り2人、天蓋(てんがい)・龍(りゅう)・一人(ひとり)一旗(ひとはた)4人、六道(ろくどう)竹(だけ)・鍬(くわ)・野辺(のべ)団子(だんご)1人、一(いち)灯(とう)篭(ろう)2人、持(もち)花(ばな)2人、四(よん)花(ばな)1人、香炉(こうろ)位牌(いはい)1人となっています。

葬式(そうしき)礼廻(れいまわ)り(男子が廻る)

葬式の翌日の日没頃から、葬式組及び近隣の知人・親戚宅へ喪主(もしゅ)を始め、死者の最も身近な身内の者が紋付(もんつき)羽織(はおり)袴(はかま)に威儀(いぎ)を正して礼廻りをします。
家紋入りの提灯(ちょうちん)を必ず持ち、ロウソクに火は付けません。会葬(かいそう)・廻葬(かいそう)の礼ともいいます。

寺参(てらまい)り

3日目には礼(れい)参(まい)りとして、近親者一同そろってお寺へ礼参りをしました。寺参りといいます。
なお、この日は遺族にとっては一番(いちばん)淋(さび)しい日であり、誰も遺族宅へ泊まりません。
また、「身(み)悔(く)やみ」といって悔(く)やみに行ってはいけません。

その他

49日まで7日毎に逮夜(たいや)を行います。
1・7日(ヒトナヌカ、ヒトタイヤ)、2・7日(フタナヌカ、フタタイヤ)、5・7日(イツナヌカ、35日)ともいって、お茶入れをして親戚知人を招きます。
年忌(ねんき)は、1・3・7・13・25・33・50・100年忌という法要(ほうよう)を行います。

備考

・霊前に供える目覚まし・香典(こうでん)などは、“墨(すみ)を磨(す)る時間ももどかしく、お悔やみに急いでまいりました。”との意味で、墨字は「うすく」、封(ふう)は〆(しめ)でとめるのが礼儀とされています。
・本例は仏式による慣習(かんしゅう)儀礼(ぎれい)です。

◇「宮地町仲町葬式記録及び便り附け名録」について

 葬式を執り行うには、それぞれのマチやムラ集落(しゅうらく)などで規則(きそく)を定め、忠実(ちゅうじつ)に今日まで守られています。その中で、明治31年(1898)の宮地の中町組には、葬式記録・便り附け名録が残され、現在も伝えられ守られています。その中で特異(とくい)なものは、次にかかげる便り附けです。
①昼夜の別なく一方面(いっぽうめん)、必ず2人1組で編成
②便り附けの距離範囲は1里(り)(約4㎞)以内
③遠隔地(えんかくち)の縁家(えんか)・親族には電報(でんぽう)打(う)ち(郵便局)
④1里以上の所は特に人を雇(やと)ってその役目にあたる
⑤不幸のあった家に関係のあるお寺に知らせる
 便り附けは、家で不幸があると、まず、不幸者の縁家・親族に訃報(ふほう)の第一報を正しく伝える最も重大な役目です。昔は、現在のように車や電話のない時代であり、不幸は深夜が多く、暗い夜道を縁家・親戚の家を尋ね歩く苦労は寂しく辛いものでしたが、本当に大事な役目でした。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 生活
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