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農地委員

概要

国会は農地改革という歴史的任務を、農民の中から農民によって選ばれた地方農地委員会に委ねることになりました。地方農地委員会の任務は、「封建的土地所有制度を廃止し、公平且つ民主的基盤に拠る土地の再配分を妨げる経済的障害を排除する」ことでした。農地委員会は自ら改革の主要業務を担当する「独立の国家機関」であるとさえいわれました。
指導機関から流れてくる一切の法令・通達等が委員会を通じて実際に適用される場であり、地主側。小作側・委員会の三者の意志がここで激しくぶつかり合う場でした。町村農地委員の第一回選挙は昭和21年12月20日~27日に、全国1万9千余の市町村で実施されました。旧一の宮町を構成する旧四町村においても12月24日に実施されました
この選挙の画期的意義は階層別代表制度を実施したことです。この制度は単に農地改革事業において画期的であっただけでなく、他のあらゆる公的選挙制度を通してわが国最初のものでした。
しかし、選挙準備の要であった選挙人名簿の基礎である小作・地主・自作の3階層の区分の仕方が、それまでの農林統計などで慣用してきた区分の仕方と異なって、専門の法学者ですら難解でした。
このような状況下で農地委員を公選することになりましたが、無投票の委員会が多くありました。無投票の内容に二種類があり、少数の進歩的な意味のものでは、進歩的な組織農民や有識者の活動があって、無益な競争を省略した場合です。別の多数の遅れた意味のものでは、選挙民は全く無関心で、村の有力者やボスによる馴れ合いの調整で、定数以上の立候補を抑えつけた場合です。
旧坂梨村の場合は、第一次農地委員であった巌木静之氏の話によると「過去に指導的立場にあり有識者であった地主の発言力が強かった」とのことで、無益な競争を回避した無投票の事例となりました。
市町村の農地委員会の構成は、第二次改革では階層別代表制度の趣旨を耕作者本位に徹底せしめて、原則として小作五、地主三、自作二の計十人とし、中立委員三人以内の選任も公選委員全員の同意を要することとなりました。
全国的なことですが、委員の年齢別については、三階層を通じて40代が多く、50代以上は地主委員に多く就任しました。地主委員には高学歴や社会的地位の高い役職経験者が多く、知的装備と公的事務の経験に関する限り、小作委員は地主委員の相手ではなかったといわれています。全国の事例報告からは、小作委員が会長となった委員会が、改革事業の運営を法の精神に従って活発に行い、地主委員が会長となった委員会に事業の延滞が多かったことが記録されています。

参考

阿蘇一の宮町史 戦後農業と町村合併

カテゴリ : 文化・歴史
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