ホーム > 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)と国造神社(こくぞうじんじゃ)

速瓶玉命(はやみかたまのみこと)と国造神社(こくぞうじんじゃ)

 阿蘇神社から約6㎞の所に、国造神社という神社があります。
阿蘇神社の北にあるので、北宮(きたみや)とも呼ばれ、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の御子である速瓶玉命を主神として、お妃(きさき)の雨宮媛命(あまみやひめのみこと)、第2子の高橋神(たかはしのかみ)、第3子の火(ひの)(日)宮神(みやのかみ)が祭られています。速瓶玉命は農業の神として、住民から大変親しまれています。父の健磐龍命とともに阿蘇の開拓(かいたく)に尽くしたといい、田に水を引くことや牛馬の育成に努め、農業を起こしたと伝えられているのです。

 崇神天皇(すじんてんのう)の時、速瓶玉命は、阿蘇国造(あそのくにのみやつこ)に任(にん)ぜられています。国造というのは、地方の長に当たる職のことで、国造にゆかりの神社の神職(しんしょく)をさす言葉でもあります。崇神天皇は、大和(やまと)での政治の基礎を固められた方とされています。

 国造神社の境内(けいだい)には元国指定の天然記念物である「手野(ての)の大杉(おおすぎ)」が保存してあります。幹(みき)の回りが11m、木の高さ48m、2000年以上も生きてきた杉のことです。しかし、平成3年9月27日の台風19号に見舞(みま)われて、地上11mのあたりから折れてしまいました。

 関係者は、この木を守るために色々と手当てをしましたが、とうとう枯(か)れてしまいました。そこで、幹と根に上屋(うわや)を建てて大切に保存しています。また、この杉から取った穂木(ほぎ)が育っていることが分かり、親木(おやぎ)のそばに後継(あとつ)ぎの木として植えられました。今後、新しい神杉(かみすぎ)として育って欲しいものです。
 国造神社のすぐそばには、上御倉古墳(かみのおくらこふん)・下御倉古墳(しものおくらこふん)という2つの横穴式古墳(よこあなしきこふん)があります。大きな切石で組み立てられており、上御倉古墳の直径は約33m、高さ5.3mです。中の壁には線画(せんが)の跡があるといいますがよく見えません。下御倉古墳は直径約33m、高さは4.5mです。造りなどは上御倉とだいたい同じです。紀元(きげん)600年頃にできたものといわれており、この2つの古墳は速瓶玉命と雨宮媛命のお墓だと伝えられています。

 この他にも、手野から南西に当たる所に中通古墳群(なかどおりこふんぐん)があり、10の古墳が田んぼの中に点在しています。鏡(かがみ)・勾玉(まがたま)・剣(つるぎ)・埴輪(はにわ)・土器(どき)などが出てきた古墳等もあり、古いものは紀元500年頃に造られたものと思われています。

 残念なことに、これらの古墳の中でも一番大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の長目塚(ながめづか)が河川改修(かせんかいしゅう)の際、前方部(ぜんぽうぶ)が削(けず)り取られてしまいました。全長111.5mあったものが、改修により50m程無くなってしまいました。改修前に調査された結果、周囲を含めると熊本県内で一番大きい前方後円墳だということが分かり、35才位の女性と思われる人が葬(ほうむ)られていました。その時、鏡や玉類、太刀(たち)などが見つかり阿蘇神社に保管されています。

参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-


カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

このページのURL:

TOP