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阿蘇惟澄

概要

?~正平19年=貞治3年(1364)。南北朝時代の阿蘇大宮司、武将。

阿蘇氏一族で、恵良氏を名乗り、小次郎・筑後権守・筑後守を称し、晩年大宮司となりました。大宮司惟時の女婿。
江戸時代「群書類従」に所収されて著名な正平3年=貞和4年の「阿蘇大宮司惟澄申状(恵良惟澄軍忠状)」は、その前年入国したばかりの征西将軍宮に、元弘(1331~1334)以来、南北朝初期における彼の戦功を上申したものです。
これによると、元弘の変で鞍岡(宮崎県)にこもり、守護規矩高政の軍と戦ったのをはじめ、大宮司惟直とともに有智山合戦。多々良浜の戦では生き延び、延元2年=建武4年(1337)以来、益城、阿蘇、八代、琢磨と一族、他門を率いて転戦。肥後北部と南部の南朝方の接点にあって活躍しています。正平10年=文和4年以降は合戦に参加せず、社領保全に専念したとされています。
長子惟村が北朝方となったため、二男惟武を代官に立てていましたが、正平19年=貞治3年惟武が病床の彼を無視し菊池市の援兵に出陣したことを怒り、惟村を後嗣として死去したとみられています。


カテゴリ : 文化・歴史
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