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阿蘇神社と北条氏

概要

伊豆国(現静岡県)の在庁官人で、源頼朝の(しゅうと)北条時政が鎌倉幕府の草創にあずかり、以来執権家として繁栄しました。頼朝没後は幕府権力を左右し、とりわけ家督の得宗家は鎌倉中期以降、全国的に港湾を押さえ、西国を中心に多くの守護職、地頭職を占め、得宗専制体制を築きました。肥後国との関わりは、建久5年(1194)ごろ北条時政が、阿蘇本社および健軍、甲佐、郡浦の三末社領の預所兼惣地頭となったことに始まります。これら阿蘇本末社については大宮司の補任権をはじめ、所領安堵権など協力な権限を行使し、文永11年(1274)には執権時頼の弟時定が、阿蘇社領内の小国郷満願寺を建てました。守護色については建長5年(1253)以前から一族の名越時章が補され、一時安達泰盛が補されましたが、弘安8年(1285)以降は得宗家および一門の高政が任じました。また国中に多くの得宗領はじめ一門の所領を有しましたが、元弘3年(1333)鎌倉幕府とともに滅亡しました。

カテゴリ : 文化・歴史
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