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阿蘇郡

概要

県の最東北部に位置する山間地帯で、北から東にかけては大分県、宮崎県と境を接し、西は菊池郡、南は上益城郡に隣接します。面積は1197.96平方㌔で本県最大でした。
人口は8万4千余り。複式火山として箱根と並ぶ阿蘇は、戦前すでに国立公園に指定され、中央火口丘の五岳、火口原の阿蘇谷、南郷谷、外輪山とその外斜面および高原地帯の景観は雄大の一語に尽きます。
阿蘇谷の黒川と南郷谷の白川は合流して白川となり立野火口瀬から西流し、熊本平野を潤しながら有明海へと注いでいます。
標高が高く、火口原地帯でも標高500㍍を越え、気候は準高冷地型を示して低温多雨。原野も広いので火口原では農業と畜産、外輪山外麓では酪農と林業が主産業となっています。古くは阿蘇国とよばれ、「和名抄」にも「阿曽」と注しており、波良、知保、衣尻、阿曽の4郷が見えます。阿蘇神社の神主の阿蘇氏は、噴火口の神健磐龍命と国造速瓶玉命の直裔と伝えており、阿蘇郡の郡司から阿蘇荘の荘官となりました。やがて阿蘇神社を中心とする武士団の棟梁として戦国時代まで勢力を振るっていましたが、島津氏の侵略に敗れ、以後は阿蘇神社を司祭する大宮司としての地位だけを保って、今日に及んでいます。加藤清正入国時の石高は40,804石8斗とされましたが、細川氏の台に54,628石と定められました。内牧には郡代が常駐し、坂梨、内牧、布田、高森、野尻、菅尾、北里、久住の八手永を支配していました。明治3年(1870)手永は郷となり、郡代役所も出張所から廨舎、支庁と改称され、12年には郡役所となりました。さらに19年、郡役所は宮地に移転し、大正15年(1926)まで続き廃止されました。現在の県事務所は昭和17年(1942)再設された地方事務所を継続したものです。軍の管下町村は、明治22年(1889)には1町25村であったが、昭和28年以降の町村合併で一の宮町、阿蘇町、南小国町小国町産山村、波野村、蘇陽町高森町、白水村、久木野村、長陽村、西原村の6町6村となりました。昔阿蘇谷には豊後街道、南郷谷には南郷往還があり、豊後街道は江戸時代に参勤交代の通路として重視されてきました。今日では九州横断道路をはじめとして多くの観光道路が開発されました。

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カテゴリ : 行政
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