ホーム > 養蚕

養蚕

概要

蚕糸の起源は中国で紀元前3700年頃とされ、日本に伝わったのは諸説がありますが、仲哀天皇のころといわれています。
肥後国誌」によると熊本県には推古帝の609年に百済の僧道欣が芦北郡津奈木に漂流帰化して養蚕を始めたと伝えられています。

生産

熊本県の機械製糸は明治は明治5年(1872)長野濬平(しゅんぺい)が託麻郡九品寺村(現熊本市)の試験場で行ったのが始まりで、明治8年6月に上益城郡甲佐郷豊内村(現甲佐町豊内)に緑川製糸場を設立、また菊池郡河原村(現菊池市)に今村製糸場などが設立されました。県内養蚕の最盛期は昭和10年台の前半で、なかでもピークの昭和14年には全農家の47%が養蚕農家、同年の繭の生産量は11,270㌧、生産された生糸の76%は輸出向けでした。しかし第二次世界大戦中は農村の労働力が減少、食料および肥料事情の悪化で養蚕は縮小し、生糸はパラシュートなど軍需物資に利用されました。戦後は最大の用途だった婦人用ストッキングをナイロン繊維にその座を奪われ、化学繊維の急速な開発により需要が大幅減退しました。同時に韓国、東南アジアの輸出攻勢も激しく、昭和30年代後半からの経済成長に伴い、養蚕の衰退が顕著になりました。
熊本県の主要養蚕地帯の菊池川、白川、緑川流域の桑畑は水田に転換されるところが多く、一方では農薬散布、タバコ作などの被害を避けて養蚕地帯は開拓地や阿蘇、上益城などの中山間地へ移っています。
養蚕の特徴は水稲や畜産、シイタケなどとの複合経営です。昭和54年(1979)の県内の桑園面積は2,920㌶、養蚕戸数3,510戸。集繭量は1,838㌧で全国の2.3%、西日本では鹿児島に次いで2位。1戸当りの収繭量524㎏、1㌧以上を生産する農家は399戸となっています。生産性向上のための試験場などの研究の結果養蚕のやり方は昭和50年を境に急変し、稚蚕は人口飼料による共同飼育が多くなりました。
桑作りも密植速成機械化桑園が普及し始めたため、収穫量は増加しています。

カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

このページのURL:

TOP