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鬼八神話(きはちしんわ)

霜宮の鬼八伝説

阿蘇大明神(健磐龍命)に使える鬼八法師は大明神が的石(旧・阿蘇町)を的に蛇の尾山から弓を射るたびに矢を取りに行っていたが、疲れてしまい、足の指に挟んで矢を投げ返した。投げ返した矢は大明神の足に当たってしまいました。大明神が怒って追いかけ、鬼八は逃げ走り、高森に到ると岩を穿って天へのぼり、霜を頻りに降らせた。そこで霜宮に祀ってその体を綿に包んだ。肌を温めるための火焚きが疎略になると早く霜を降らせると伝えられています。
実は鬼八は99本目までは拾って持って行ったが、疲れて100本目は足で返した。高森から矢部に逃げて8回放屁したので「八屁」から「矢部」の地名となったという。大明神に討たれた鬼八の首が天に昇って霜を降らすようになったので、火焚きをして首の傷を温めている等々、鬼八をめぐる伝説は数多く語り継がれている。
鬼八法師は現在ではキハチと呼んでいるが、その他に金八ボシ、キンパチ、オンハチボウシ、金八ブシ、キハチボシなど所々によって異なるよび方が伝えられている。

高千穂神社と鬼八

宮崎県高千穂地方にも鬼八の話があります。
「十社大明神記」によれば、窟に住む「きはちふし」と呼ぶ鬼を正市伊様が切り取って埋め、八尺の石を押さえにするが生き返るので3つに切り、3ヶ所におさめたという。
建武5年(1338)に肥後国の了観が著した「高千穂十社御縁起」には、「きはちほうし三千王」あるいは「きんはちほうし」を十社大明神が攻めて退治したとあります。

鬼八の本名は走建(はしりたける)で、大蜘蛛でしたが、高千穂の都を領して民を悩まし美女を求めて乱行限りなかったので、三毛入野命に退治された。殺された体がいくたびも一つになるので、所々に分けて埋められましたが、その一所は肥後国にあり、半身が埋められた所(霜の宮)で霜の祭を行っている。13以下の娘が竈を取り、8月から9月に及ぶまで毎夜塚に火を焚く。この祭りに仕える女児に村民が霜が遅い時には稲数束、霜が早く降りる時には藁数束を与える。鬼八は霜を随意にできる神と書かれている。阿蘇の霜宮の火焚き神事をさしていると思えるが、鬼八の首塚にかつて「鬼八申霜宮是也」の石があったことと関連づけて記述しています。

吉備津神社の釜鳴神事

岡山市の吉備津神社にも阿蘇にまつわる伝説が語られています。吉備津神社の祭神吉備津彦命は、「日本書紀」崇神天皇十年九月の条にある天皇に従わない者を平定するために派遣された四道将軍の一人である。伝説によれば、吉備津彦命は山陽道の吉備国で異国から住み着いた「温羅」と名乗る鬼神を退治しました。その首を釜殿の下に埋めたが、温羅の首のうなり声が13年間やむことがなかった。命の夢に温羅が現れ、妻の阿曽媛(阿曽郷の祝の娘)に釜殿の神饌を炊かせよ。幸あれば釜が鳴り、災いある時は鳴らないと告げた。以後、御釜殿に奉仕する巫女は阿曽郷の女性が選ばれ、阿曽女と呼ばれるようになったといいます。

映像

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参考

くらしのあゆみ 阿蘇 -阿蘇市伝統文化資料集-

外部リンク

高千穂町
吉備津神社

カテゴリ : 文化・歴史
索引 :

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