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麓坊中

概要

古坊中滅亡後、阿蘇が再び修験の地となったのは慶長4(1599)年のこと。隈本(熊本)に入府した加藤清正公が、阿蘇山麓の黒川村(現在の阿蘇町黒川)に、阿蘇周辺に散り散りとなっていた宗徒や行者、山伏たちを呼び集めて坊庵を復興させました。これが「麓坊中」もしくは新坊中とよばれる坊庵群です。

慶長年間(1596~1615)、加藤清正に古坊中の再興を命じられた内牧城代・加藤右馬允は、扶持と屋敷を与えることにより古坊中から四散していた僧徒を集めました。その核となったのが、比叡山延暦寺の末寺として由緒ある西巌殿寺です。
やがて、88の建物が阿蘇の山ろくに建ち並び、再び栄華を極めるようになりました。

また、阿蘇山上にも本堂、諸堂舎が建てられました。
しかし、明治の廃仏毀釈令によって、麓坊中にあった建物の多くは廃されてしまい、また、平成13年(2001)、西巌殿寺本堂は火災により焼失しました。現在では、西巌殿寺に多くの山伏や行者が集まり、「湯立て」や「火渡り」を盛大に繰り広げる観音祭り(4月13日)に往時を偲ぶことができます。

画像

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資料

麓坊中の繁栄を描いた絵図

西巌殿寺
比叡山延暦寺

カテゴリ : 文化・歴史

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