蛍丸とは
蛍丸(ほたるまる)とは、阿蘇神社(熊本県阿蘇市)に伝来した阿蘇家の宝刀で、鎌倉時代後期の刀工・来国俊(らいくにとし)が制作したとされる大太刀(おおだち)です。
かつては国宝に指定されていましたが、第二次世界大戦後のGHQによる武器接収で所在不明となり、現在に至るまで原本は見つかっていません。2023年(令和5年)、8年越しのクラウドファンディングプロジェクトによって復元された写し(うつし)が阿蘇神社に奉納され、失われた名刀は新たなかたちで阿蘇の地に戻りました。
刀の仕様
蛍丸の主な仕様は以下のとおりです。
- 種別:大太刀(背負い太刀)
- 刀工:来国俊(銘に「永仁五年(1297年)三月一日」とあり)
- 刃長:3尺3寸余(約100cm超)
- 反り:1寸余り
- 旧指定:旧国宝(1933年〈昭和8年〉指定)
- 所蔵:阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町宮地)
蛍丸伝説——蛍が刃こぼれを癒した夜
蛍丸の名前の由来は、南北朝時代の武将・阿蘇惟澄(あそこれずみ)にまつわる伝説に起源を持ちます。
1336年(建武3年)3月、北九州・多々良浜(現在の福岡市)において、阿蘇惟澄は菊池武敏とともに足利尊氏の西下を阻止するべく戦いに臨みました。しかし形勢は逆転し、劣勢の中でも大太刀を振るい続けた惟澄が陣に戻ったとき、刀身にはびっしりと刃こぼれが生じていました。
疲れ果てた惟澄がそのまま眠りにつくと、夢の中で無数の蛍が現れ、刃こぼれした箇所に次々と止まり光に包まれました。翌朝、目が覚めて太刀を抜くと、刃こぼれがひとつも残っていませんでした。以来この太刀を「蛍丸」と呼ぶようになったと伝えられています。
この伝説の初出は、江戸時代の熊本藩士で刀工でもあった松村昌直が記した『刀剣或問(とうけんわくもん)』とされています。
蛍丸伝説の要点
- 時代:1336年(建武3年)多々良浜の戦い
- 登場人物:阿蘇惟澄(阿蘇神社宮司・武将)
- 内容:激戦で生じた刃こぼれを、夢の中に現れた蛍の群れが修復した
- 出典:松村昌直『刀剣或問』(江戸時代)
来国俊(らいくにとし)について
蛍丸を制作した来国俊は、鎌倉時代後期に山城国(現在の京都府)で活躍した名工です。「来派(らいは)」と呼ばれる刀工集団の中核を担った一人で、緻密で繊細な地鉄と刃文を特徴とします。
蛍丸の銘には「永仁五年(1297年)三月一日」と刻まれており、制作から多々良浜の戦いまでおよそ40年が経過していたことになります。刃長3尺3寸余という大太刀は通常の太刀を大きく上回るサイズで、背負って使用する「背負い太刀」として阿蘇家に伝承されました。
近代の来歴——旧国宝指定から行方不明まで
蛍丸は1933年(昭和8年)に旧国宝に指定されました。太平洋戦争が始まると刀は地元警察に預けられましたが、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による武器接収、いわゆる「昭和の刀狩り」で接収されます。
その後、処分されたとも、どこかに隠されているとも言われましたが、現在に至るまで原本の所在は確認されていません。
現在、くまもと郷土美術館(熊本県)には蛍丸の押形(おしがた)——刀身に紙を当てて刃文などを写し取った記録——が保存されており、失われた名刀の姿を今に伝える貴重な一次資料となっています。
復元プロジェクト——4,500万円を集めた現代の蛍伝説
プロジェクトの始動(2015年)
2015年(平成27年)、岐阜県関市の刀匠・福留房幸(ふくどめふさゆき)氏が中心となり、「蛍丸伝説をもう一度!大太刀復元奉納プロジェクト」がクラウドファンディングサービス・CAMPFIREで始動しました。
目標金額550万円に対し、募集開始からわずか5時間で達成。最終的に3,193人から4,512万円が寄せられました。当時ブームだったゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM・ニトロプラス)に蛍丸がキャラクターとして登場していたことも、支援の輪を全国規模に広げる大きな要因となりました。
制作(2016〜2017年)
制作は岐阜県関市の刀匠・福留房幸氏と大分県竹田市の刀匠・梠房興(こおろきふさおき)氏が共同で担当。両者はともに二十五代藤原兼房に師事した刀匠です。
2016年2月には阿蘇神社の神前で玉鋼を打ち延ばす「奉納鍛錬(打始式)」が行われ、支援者約50人が参列しました。資料として残された写真や押形をもとに制作が進み、合計3振の写しが完成しました。
| 区分 | 行方 |
|---|---|
| 真打(最優秀作・1振) | 阿蘇神社に奉納 |
| 影打(2振のうち1振) | 岐阜県関市「関鍛冶伝承館」に寄贈 |
| 影打(2振のうち1振) | 最高額出資者に贈呈 |
奉納式(2023年11月)
復元刀は2017年(平成29年)6月17日に阿蘇神社で奉納奉告祭が行われました。しかしその後、2016年の熊本地震で倒壊した楼門・拝殿の修復が続いていたこともあり、正式な奉納式は2023年(令和5年)11月18日まで待つことになります。
奉納式ではプロジェクト開始から8年越しの完了が報告され、地域住民や刀剣ファン、支援者が集まりました。
熊本地震と蛍丸——復興のシンボルとして
2016年4月の熊本地震では、阿蘇神社の楼門・拝殿など重要文化財建築の多くが倒壊・損傷しました。楼門の復旧工事には約7年半を要し、2023年にようやく完了しています。
蛍丸の復元と奉納は、ちょうどこの神社復興と時期が重なりました。地震で傷ついた阿蘇神社に、失われた宝刀が現代の技術と多くの人々の支援によって戻ってきた——その事実は単なる文化財復元を超え、地域の復興を象徴する出来事として広く受け止められました。
復元蛍丸にちなんだ「蛍丸サイダー」(マスカット味)も制作・販売され、売上の一部が神社の復旧資金に充てられました。
復元蛍丸の展示
奉納された真打は阿蘇神社が保管しており、公開の機会は限られます。一方、影打(関鍛冶伝承館蔵)や蛍丸に関連する展示は各地で随時行われており、2024年には熊本市の肥後の里山ギャラリー(肥後銀行本店1F)で開催された「楼門修復記念 阿蘇神社展」で無料公開・撮影可能な形で一般に公開されました。
展示情報は阿蘇神社や開催施設の公式案内で確認することを推奨します。
よくある質問(FAQ)
Q. 蛍丸の原本は今どこにあるの? A. 現在も所在不明のままです。戦後のGHQによる武器接収で持ち去られて以降、処分されたとも隠されているとも言われますが、公式に確認された情報はありません。
Q. 阿蘇神社で蛍丸を見ることはできる? A. 奉納された復元刀(真打)は通常非公開です。ただし企画展などで公開されることがあります。訪問前に阿蘇神社の公式情報を確認してください。
Q. 蛍丸はなぜゲームで有名になったの? A. 2015年に配信開始した刀剣育成ゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」(DMM・ニトロプラス)に蛍丸がキャラクターとして登場し、全国規模で知名度が急上昇しました。復元プロジェクトへの支援者の多くが同ゲームのファンで、4,512万円という異例の支援額にもつながっています。
Q. くまもと郷土美術館の押形は一般公開されている? A. 押形は美術館が保存する資料です。公開状況は美術館の展示スケジュールによって異なります。
参考・関連リンク
- 阿蘇神社(公式):https://asojinja.or.jp/
- 関鍛冶伝承館(岐阜県関市):https://www.sekikaji-mus.com/
- 刀剣ワールド「蛍丸」:https://www.touken-world.jp/search-noted-sword/unselected/96264/
索引:ほ
最終更新:2026年5月