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文化・歴史

吉井勇歌碑

概要

吉井勇歌碑(よしいいさむかひ)は、歌人吉井勇(よしいいさむ、1886~1960)の短歌を刻んだ石碑です。熊本県阿蘇市には2基あり、大観峰(だいかんぼう)展望所と阿蘇町中央公園(あそまちちゅうおうこうえん)にそれぞれ異なる歌が刻まれています。いずれも阿蘇を訪れた文人の足跡を今に伝える文学碑です。

由来・起源

歌人 吉井勇について

吉井勇は、明治19年(1886)10月8日、東京(旧・東京府芝区高輪)に生まれました。祖父は薩摩藩士から維新の功により伯爵となった吉井友実(よしいともざね)、父は海軍軍人・貴族院議員を務めた吉井幸蔵(よしいこうぞう)です(香美市公式サイト「漂泊の歌人 吉井勇」)。

早稲田大学に進学しましたが、専門部政治経済科を中途退学しました。在学中の明治39年(1906)頃、与謝野寛(よさのひろし、号・鉄幹)が主宰する新詩社(しんししゃ)に加わり、雑誌『明星(みょうじょう)』に短歌を発表して注目を集めます。新詩社を離れたのち、明治42年(1909)には森鴎外(もりおうがい)監修のもと、石川啄木(いしかわたくぼく)らとともに雑誌『スバル』を創刊しました。翌明治43年(1910)には、耽美的な作風で知られる第一歌集『酒ほがひ(さかほがい)』を刊行しています。

京都の祇園(ぎおん)を愛したことから「祇園歌人」の異名でも知られ、大正4年(1915)には劇「その前夜」の劇中歌『ゴンドラの唄』を作詞しました。晩年は高知県の猪野々(いのの)に隠棲するなど各地を歌行脚(あんぎゃ)し、昭和35年(1960)11月19日、京都で74歳で没しています。

「五足の靴」と阿蘇

吉井勇と阿蘇の縁は、明治40年(1907)の「五足の靴(ごそくのくつ)」の旅にさかのぼるとみられます。これは与謝野寛(鉄幹)・北原白秋(きたはらはくしゅう)・木下杢太郎(きのしたもくたろう)・吉井勇・平野万里(ひらのばんり)の5人の詩人が九州を巡った紀行で、一行は立野(たての)から南郷谷(なんごうだに)経由で阿蘇に登っています(阿蘇ペディア「五足の靴」)。阿蘇町中央公園の歌碑には北原白秋の名を詠み込んだ歌が刻まれており、この旅での体験を踏まえたものと考えられますが、直接の裏付けは取れていません。

歴史的経緯

大観峰の歌碑

大観峰の吉井勇歌碑には、次の短歌が刻まれています。

大阿蘇の山の煙はおもしろし空にのぼりて夏雲となる 勇

阿蘇の噴煙が夏の青空にわきあがり、雲のように見える情景を詠んだもので、大観峰から望む阿蘇の景観を象徴する一首です。

阿蘇町中央公園の歌碑

阿蘇町中央公園にも、大観峰とは別に吉井勇の歌碑が建てられています。刻まれている短歌は次のとおりです。

白秋もわれもしとゞに濡れにけり山荒るる日の阿蘇のよな雨 勇

北原白秋とともに阿蘇を訪れた際、山が荒れる日の雨にすっかり濡れてしまったことを詠んだ歌です。大観峰歌碑が阿蘇の雄大な景観を詠んだのに対し、こちらは同行した文人との旅の実感を詠んだ一首といえます。建立の時期・経緯については、現時点で確認できる資料がありません。

 

現在の状況

大観峰は現在も阿蘇を代表する展望地として国内外から多くの観光客が訪れており、吉井勇歌碑は展望所の一角に残されています。阿蘇町中央公園の歌碑とあわせ、いずれも文化財としての指定は確認されていません。

よくある質問

Q. 吉井勇の歌碑は阿蘇に何基ありますか? A. 熊本県阿蘇市に2基あります。大観峰と阿蘇町中央公園にそれぞれ異なる歌を刻んだ歌碑があります。

Q. 大観峰歌碑にはどのような短歌が刻まれていますか? A. 「大阿蘇の山の煙はおもしろし空にのぼりて夏雲となる」という短歌が刻まれています。

Q. 阿蘇町中央公園の歌碑にはどのような短歌が刻まれていますか? A. 「白秋もわれもしとゞに濡れにけり山荒るる日の阿蘇のよな雨」という短歌が刻まれています。北原白秋との阿蘇行を詠んだものとみられます。

Q. 吉井勇とはどのような人物ですか? A. 明治から昭和にかけて活躍した歌人・劇作家で、歌集『酒ほがひ』や『ゴンドラの唄』の作詞で知られます。京都の祇園を愛し、「祇園歌人」とも呼ばれました。

関連項目

参考文献

  • 香美市公式サイト「漂泊の歌人 吉井勇」(吉井勇記念館)
  • 阿蘇市公式サイト「展望所・景観」
  • 阿蘇ペディア「歌碑
  • 阿蘇ペディア「五足の靴
更新日: 2011-12-02 (金) 00:00:00 (5405d)