概要
藤原式揚水車(ふじわらしきようすいしゃ)とは、川の水を、自然の流れでは届かない高所の水田まで汲み上げるために用いられた大型の木製水車式揚水装置です。阿蘇地域では、黒川(くろかわ)沿いの千丁無田(せんちょうむた)(現・阿蘇市黒川)に設置され、川底から約10〜20メートル上方にある水田へ灌漑用水(かんがいようすい)を供給していました。
この名称は、千葉県(現在の市原市)で同種の揚水水車を考案した水車大工(すいしゃだいく)・藤原治郎吉(ふじわらじろきち)氏にちなむとされています。
時代背景
発明者・藤原治郎吉と千葉県の藤原式揚水機
藤原式揚水車の原型は、明治時代に千葉県の上総(かずさ)地方(現在の市原市)で考案された「藤原式揚水機」です。水車大工であった藤原治郎吉は、養老川(よろがわ)流域の台地と川面との高低差を解決するため、川をせき止めてつくった流れで水車を回し、水箱(みずばこ)を連動させて水を汲み上げる仕組みの揚水機を開発しました(市原市教育委員会フィールドミュージアム「TK-03 藤原式揚水機実大模型」)。
明治12年(1879)に池和田(いけわだ)で最初の機械が建造され、明治28年(1895)には高滝(たかたき)地区に1号機が完成しています。その後、養老川流域の8か所で稼働し、多くの水田開発に役立ったと伝えられています(同上)。この技術は後にタービン式や電動モーター式の揚水機に置き換えられ、現在は千葉県市原市の高滝ダム湖畔にわずかに遺構を残すのみとなっています(大河内信夫・板倉嘉哉・堤一郎・白井靖幸「藤原式揚水機の水箱について」日本機械学会関東支部総会講演会講演論文集2007.13、2007年)。
阿蘇への伝播
藤原治郎吉が考案した揚水水車の技術は、明治期に熊本県内にも伝わったことが知られています。熊本県大津町(おおづまち)に伝わる聞き取りでは、「水車は明治初期に千葉県でつくられた『藤原式水車』の水車大工を招いて導入した」と語られており、千葉から水車大工を呼び寄せて地元の用水路に水車を建造したと伝えられています(ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』70号「みんなでつなぐ水 火の国 水の国 熊本」2022年)。
阿蘇地域の黒川における藤原式揚水車についても、同様の経緯で技術が伝えられた可能性が考えられます。ただし、設置の時期や経緯を直接記録した一次資料は現時点で確認できておらず、今後の調査・検証が必要な点です。
千丁無田の藤原式揚水車
阿蘇市黒川の千丁無田(せんちょうむた)は、黒川沿いに位置する小字(こあざ)の一つです(阿蘇市公式サイト「黒川(丁)の小字と地番域」)。この付近は黒川の川底と水田との高低差が大きく、自然の流れだけでは灌漑用水を引くことができませんでした。
そこで千丁無田に藤原式揚水車が設置され、川底から約10〜20メートル上の水田に水をくみ揚げ、田んぼを潤(うるお)していました。千葉県の藤原式揚水機と同様に、川の流水で水車と水箱を連動させて回転させ、汲み上げた水を高所の水路へ送る仕組みであったと考えられます。
[画像差し込み: 藤原式揚水車(模型)の写真]
名称に関する留意点
なお、この写真資料に付された旧説明文には「揚水機の権威者の藤原治郎吉氏が発明したシラベ式揚水機の模型です」という記述が残っています。「シラベ式」という名称は、千葉県側の研究資料(市原市教育委員会、日本機械学会関東支部講演論文集等)には見当たらず、本記事の見出し語である「藤原式」との関係は確認できていません。誤記・転記の誤り・別称のいずれであるかは不明であり、確認が取れていない点として記録しておきます。
現在との比較
千葉県の藤原式揚水機は大正末期ごろまでに稼働を終え、現在は実物が現存していません。市原市高滝ダム湖畔の記念モニュメントや、市原湖畔美術館に展示されている高さ28メートルのレプリカに、当時の姿をしのぶことができます(市原湖畔美術館公式サイト「藤原式揚水機が動きます!」)。
阿蘇の藤原式揚水車についても、現存は確認されていません。黒川流域の灌漑施設は、その後の土地改良事業によって深井戸水中ポンプや電動揚水機場を用いる施設へと置き換えられています(阿蘇土地改良区〔水土里ネット阿蘇〕公式サイト)。藤原式揚水車もこうした近代化の過程で姿を消したと考えられますが、廃止された具体的な年代は明らかになっていません。
よくある質問
Q. 藤原式揚水車とは何ですか? A. 川の水を、自然の流れでは届かない高所の水田まで汲み上げるために使われた、木製の水車式揚水装置です。阿蘇では黒川沿いの千丁無田に設置されていました。
Q. 誰が発明しましたか? A. 千葉県(現在の市原市)の水車大工、藤原治郎吉氏が考案したとされています。明治期に養老川流域で広く使われました。
Q. 今も阿蘇に残っていますか? A. 現存は確認されていません。黒川流域の灌漑施設は、その後電動ポンプなどに置き換えられたと考えられています。
Q. なぜ千丁無田に設置されたのですか? A. 千丁無田付近は黒川の川底と水田との高低差が10〜20メートルにも及び、自然の流れだけでは水を引くことができなかったためです。
参考文献
- 阿蘇ペディア「藤原式揚水車」(旧版、2011年6月掲載)
- 阿蘇市公式サイト「黒川(丁)の小字と地番域」
- 阿蘇土地改良区(水土里ネット阿蘇)公式サイト
- 市原市教育委員会フィールドミュージアム「TK-03 藤原式揚水機実大模型」(更新日:2025年4月2日)
- 市原湖畔美術館公式サイト「藤原式揚水機が動きます!」
- 大河内信夫・板倉嘉哉・堤一郎・白井靖幸「藤原式揚水機の水箱について」日本機械学会関東支部総会講演会講演論文集2007.13、2007年
- ミツカン水の文化センター機関誌『水の文化』70号「みんなでつなぐ水 火の国 水の国 熊本」2022年