概要
中江岩戸神楽は、阿蘇市波野大字中江の荻岳山上にある荻神社に奉納される神楽です。阿蘇市の公式ページは、伝承では約260年前の明和(めいわ)年間(1764〜1772年)に始まったとされると記しています。
演目には、「天の岩戸」をはじめとする日本神話を演劇風に舞うものと、榊(さかき)や鈴などの採物(とりもの)を持ち素面(すめん)で舞う素朴なものがあります。舞の特徴は、動きが大きく振りが激しいこと、ユーモアがあること、変化に富むことです。
波野は、旧阿蘇郡波野村にあたります。波野村は平成17年(2005)の市町村合併により阿蘇市の一部となりました。波野には中江岩戸神楽のほか横堀(よこぼり)岩戸神楽が伝わり、神楽の里として知られています。
由来と系譜
豊後神楽の流れ
阿蘇市の公式ページによると、中江岩戸神楽は、現在の大分県豊後大野(ぶんごおおの)市で継承されてきた豊後神楽から伝わったものです。
豊後神楽は、宮雅楽(みやががく)の影響を受けた音楽を持ち、伊勢大神楽(いせだいかぐら)、出雲神楽(いずもかぐら)、高千穂神楽(たかちほかぐら)、さらに民衆の芸能である田楽(でんがく)や猿楽(さるがく)などを一つの芸能にまとめたものとされます。流派は御嶽流、浅草流(あさくさりゅう)、深山流(ふかやまりゅう)に分かれ、中江岩戸神楽は御嶽流の流れをくむとされています。
波野では、毎年10月の神楽フェスティバルに豊後大野市の御嶽神楽(おんたけかぐら)が出演する例があり、両地域の神楽の交流がうかがえます。
起源に関する記録
起源や伝来の経緯を示す記録は残っていません。阿蘇市の公式ページは、伝承されていく中で古文書などの史料が失われたためと説明しています。そのため、始まりの時期は「明和年間」とする伝承が根拠であり、年次や伝来経路は史料では確認されていません。
文化庁の解説
文化庁の国指定文化財等データベースは、この神楽について、この地方には出雲系の神楽が伝承されており、中江の神楽もその系統に属して地方的特色に富むと解説しています。豊後神楽の総合的な性格を述べる阿蘇市の説明と、出雲系とする文化庁の説明は、強調する側面が異なります。
荻神社と奉納の機会
荻神社は、荻岳山上に鎮座します。中江地区の神楽は、荻神社の大祭で奉納されてきました。
昭和50年(1975)の選択時の文化庁解説は、神楽が演じられる機会として、4月1日と9月30日の春秋の祭、8月27日・28日の阿蘇神社の祭礼を挙げています。この解説では、春秋の祭を行う神社が「中江神社」と記されています。荻神社との関係は、本記事の残課題に記載しました。
三十三座の構成
中江岩戸神楽は三十三座で構成されます。阿蘇市の公式ページに掲載された曲目は、次のとおりです。
一番 五方礼始(ごほうれいし)、二番 随神(ずいしん)、三番 平国(へいこく)、四番 返矢(かえしや)、五番 天皇遺(てんこうき)、六番 綱の母、七番 神遂(かむやらい)、八番 舞入、九番 貴見城、十番 朝倉返、十一番 綱武、十二番 降臨(ごうりん)、十三番 地割(じわり)、十四番 武者、十五番 宮〆(みやじめ)、十六番 八雲払(やぐもばらい)、十七番 魔払(まばらい)、十八番 神使(かみづかい)、十九番 礼始(れいし)、二十番 柴曳(しばひき)、二十一番 岩戸開(いわとびらき)、二十二番 柴入(しばいれ)、二十三番 天の〆(てんのしめ)、二十四番 綱切(つなきり)、二十五番 誓約(うげい)、二十六番 公矢(こうや)、二十七番 荒神(こうじん)、二十八番 心化(しんか)、二十九番 平鉾(ひらほこ)、三十番 五穀舞(ごこくまい)、三十一番 太平楽、三十二番 岩戸舞、三十三番 大神(だいじん)。
題材は、日本神話の主な場面に分かれます。主なものは次のとおりです。
- 国生みと神々の誕生:随神は国生みを、平国は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神を斬る場面を題材とします。
- 天の岩戸:岩戸開は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が籠もった岩戸を手力雄命(たぢからおのみこと)が開く場面です。柴曳は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)が榊を引き抜いて岩戸の前に奉じる舞で、観客と榊を引き合う趣向を持つとされます。
- 素戔嗚尊の物語:八雲払は素戔嗚尊(すさのおのみこと)による八岐大蛇(やまたのおろち)退治を、誓約は天照大神と素戔嗚尊の誓約を題材とします。
- 祓いと祝いの舞:魔払は邪神を払う舞、綱切は綱を切って災厄を除く舞、五穀舞は五穀の起源に関わる舞とされます。
座の題材の説明は、阿蘇ペディアの「中江岩戸神楽三十三座」の記事を参照してください。
天の〆(綱の竹)
文化庁の解説によると、二十三番にあたる天の〆は「綱の竹」ともいい、高い竹竿に昇って曲芸風の舞を演じる神楽で、独特のものです。波野の神楽フェスティバルでも演じられる例があります。
演じ方の幅
文化庁の解説は、榊・鈴・弓などの採物を持ち素面で舞う神楽から、仮面をつけて神話を演劇風に演じる神楽まであると述べています。祭祀の舞と演劇的な舞が、一つの構成の中に含まれていることが特色です。
衰退と完全復元
阿蘇市の公式ページによると、国の選択を受けた当時、荻神社の大祭では十〜十五座程度しか舞われておらず、三十三座すべてを知る人は数名しかいませんでした。
平成2年(1990)1月、熊本県立劇場で、当時の館長であった鈴木健二(すずきけんじ)の監修により、三十三座の完全復元公演が行われました。公演は24時間にわたり、全国に衛星放送されて大きな話題となりました。
これを契機に、中江地区で中江岩戸神楽保存会が結成されました。保存会は、神楽を後世に残す取り組みとして、平成4年(1992)から毎月の定期公演を始めています。
保存会と継承
中江岩戸神楽は、中江地区の小さな集落で伝えられてきました。平成28年(2016)に阿蘇地域世界農業遺産推進協議会が公表した紹介文は、集落が24世帯であると記しています。
同じ紹介文は、県内外や海外でも公演を行っていること、地元の小学校と中学校で年間を通して週1回程度の指導を行っていることを伝えています。
波野小学校には子ども神楽の組織があり、波野中学校にも神楽クラブがあります。いずれも神楽フェスティバルに出演しています。
現在の公演
現在、中江岩戸神楽は次の機会に見ることができます。
- 定期公演:毎年4月から11月までの第1日曜日(10月を除く)に行われます。会場は中江神楽殿で、観覧は無料とされています。
- 神楽フェスティバル:毎年10月に道の駅波野「神楽苑」で開かれ、県内外の神楽団体が出演します。令和8年(2026)は、10月3日に第35回が開かれることが阿蘇市から公表されました。
神楽苑と中江神楽殿の施設の詳細は、別記事「神楽苑」「中江神楽殿」を参照してください。
文化財の区分
文化財保護法では、国の無形民俗文化財には「指定」と「選択」の区分があります。中江岩戸神楽は、国による選択で「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」にあたります。国の重要無形民俗文化財とは区分が異なります。
そのため、国については「指定」ではなく「選択」と表記するのが正確です。阿蘇市の公式ページは「国選択無形民俗文化財」と区分し、指定年月日の欄に昭和50年12月8日と記しています。熊本県の重要無形民俗文化財にも指定されています。
熊本県の国選択無形民俗文化財の一覧には、南阿蘇村の長野(ながの)岩戸神楽、南小国町の吉原(よしわら)岩戸神楽も載っています。
関連項目
よくある質問(FAQ)
Q. 中江岩戸神楽とは何ですか。 A. 中江岩戸神楽は、阿蘇市波野の中江地区に伝わり、荻神社に奉納されてきた神楽です。天の岩戸の神話を主題とする三十三座で構成され、昭和50年(1975)に国の選択無形民俗文化財となりました。
Q. 国の「選択」と「指定」はどう違いますか。 A. 「指定」は重要無形民俗文化財への指定を指します。「選択」は、指定には至らないものの記録作成などの措置を講ずべき無形の民俗文化財として国が選ぶものです。中江岩戸神楽は選択にあたります。
Q. いつ始まったのですか。 A. 伝承では約260年前の明和年間に始まったとされます。起源を示す記録は残っていません。
Q. 三十三座すべてを舞う機会はありますか。 A. 平成2年(1990)に熊本県立劇場で三十三座の完全復元公演が行われました。通常の定期公演では、一部の座が演じられます。
Q. どこで見ることができますか。 A. 4月から11月の第1日曜日(10月を除く)の定期公演は中江神楽殿で、10月の神楽フェスティバルは道の駅波野「神楽苑」で行われます。
参考文献
- 阿蘇市「中江の岩戸神楽」阿蘇市ホームページ(教育委員会 教育課)https://www.city.aso.kumamoto.jp/education/cultural-property/list_of_cultural_property/nakaeiwatokagura/
- 文化庁「国指定文化財等データベース 中江の岩戸神楽」https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/312/567
- 文化庁「文化遺産オンライン 中江の岩戸神楽」https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/161291
- 熊本県教育委員会「国選択の無形民俗文化財」一覧(PDF)https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/life/270971_842791_misc.pdf
- 阿蘇地域世界農業遺産推進協議会「中江岩戸神楽(阿蘇市)」(平成28年(2016)3月25日)https://www.giahs-aso.jp/2016/03/25/中江岩戸神楽(阿蘇市)
- 阿蘇市「阿蘇観光ガイドブック」(令和6年(2024)11月)
https://www.city.aso.kumamoto.jp/files/uploads/2024/11/NeoAso2022-241112.pdf - 阿蘇市「第35回 神楽フェスティバルを開催します」https://www.city.aso.kumamoto.jp/tourism/event_tourist/2026_kagurafes
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関連語句 : 波野の岩戸神楽


