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阿蘇の施設

阿蘇市立阿蘇北中学校

概要

阿蘇市立阿蘇北中学校(あそしりつあそきたちゅうがっこう)とは、かつて熊本県阿蘇市三久保(みくぼ)に所在した公立中学校です。1960年(昭和35年)4月、当時の阿蘇町(あそまち)内にあった内牧(うちのまき)・尾ヶ石(おがいし)・永水(ながみず)の3中学校が統合して開校しました。開校時の生徒数は1,038名でしたが、少子化により閉校時にはおよそ300名まで減少しています。校訓は「礼(れい)・学(がく)・体(たい)」でした。2012年(平成24年)3月31日、阿蘇市立阿蘇中学校への統合により閉校し、52年間の歴史を終えています。

沿革

前史 — 3つの村立・町立中学校(昭和22年~29年)

1947年(昭和22年)4月、学制改革により、内牧町立内牧中学校、尾ヶ石村立尾ヶ石中学校、永水村立永水中学校の3校が新制中学校として創立しました。

1954年(昭和29年)4月1日、内牧町・黒川村・永水村・尾ヶ石村・山田村の新設合併により阿蘇町が発足しました。これに伴い3校はそれぞれ阿蘇町立内牧中学校、阿蘇町立尾ヶ石中学校、阿蘇町立永水中学校に改称されています。

統合と創設(昭和35年~37年)

1960年(昭和35年)4月1日、上記3校が統合し、「阿蘇町立阿蘇北中学校」として開校しました。本校は内牧に置かれ、尾ヶ石と永水には分室が設けられました。開校時の生徒数は1,038名(25学級)で、初代校長には藤本清人(ふじもときよひと)氏が着任しています。同年5月には校章と標準服(制服)が制定されました。

1961年(昭和36年)2月に新校舎の地鎮祭と起工式が行われ、翌1962年(昭和37年)2月、鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が落成しました。規模は30教室、延べ床面積約1,199坪です。同時に校旗と校歌も制定されています。同年3月には本校(旧・内牧中学校)と尾ヶ石分室、永水分室、深葉(ふかば)分室が廃止され、4月には大鶴(おおつる)分室も廃止されました。あわせてスクールバス2台の運行が始まり、屋上で第1回入学式が行われました(新入生1,119名)。

校舎・施設の整備(昭和38年~39年)

1963年(昭和38年)3月、黒川(くろかわ)に阿蘇北中学校専用の橋が竣工しました(工費450万円)。同年6月に技術室、7月に理科室・音楽室・図書室が新築され、10月にはミルク給食が始まっています。翌1964年(昭和39年)には運動場の拡張工事が数次にわたって行われ、同年12月に音楽室と体育館が完成しました。

昭和後期の学校生活と災害

1969年(昭和44年)11月には統合10周年記念式典と記念文化祭が催されました。1972年(昭和47年)4月1日には、阿蘇町一の宮町中学校組合立春牧(はるまき)中学校の閉校に伴い生徒28名が転入し、スクールバス1台が増車されています(合計3台)。

1979年(昭和54年)5月には、統合創設20周年を記念する事業として校名の除幕式が行われました。

学校の沿革記録によると、1990年(平成2年)7月2日、早朝からの集中豪雨により黒川が氾濫し、体育館・新館・寄宿舎などが床上浸水する被害を受けています(体育館は床上約95cm)。この際、生徒445名と職員全員が本館に宿泊しました。翌1991年(平成3年)9月には台19号が直撃し、水害からの大規模改修工事が完了した直後の本館屋根瓦の5分の3が破損するなど、重ねて大きな被害を受けています。

創立50周年(平成21年)

2009年(平成21年)10月、創立50周年記念式典が行われました。シドニー五輪テコンドー日本代表の樋口清輝氏による記念講演や、落語家・三遊亭歌之介氏を招いての記念イベントが催されています。

市制施行による改称(平成17年)

2005年(平成17年)2月11日、阿蘇町・一の宮町・波野村(なみのむら)の新設合併・市制施行により阿蘇市が誕生しました。これに伴い、学校名は「阿蘇市立阿蘇北中学校」に改称されています。

閉校(平成24年)

少子化に伴う学校再編を背景に、阿蘇市立阿蘇北中学校は同じ阿蘇市内の阿蘇市立阿蘇中学校(初代)と統合されることになりました。2012年(平成24年)2月25日に閉校式および閉校記念式典が行われ、生徒や教職員、卒業生・保護者ら約千人(両校合計)が参列しています(阿蘇市広報「あそ」2012年2月号・3月号)。同年3月15日には最後となる卒業式が行われ、開校以来52年間で10,598名の卒業生を送り出しました。3月31日をもって正式に閉校し、翌4月1日、内牧の新校舎で二代目となる「阿蘇市立阿蘇中学校」が開校しています。

なお、阿蘇北中学校最後の校長であった麻生廣文(あそう ひろぶみ)氏は、新しい阿蘇中学校の校歌の作詞を手がけました。作曲は平成音楽大学学長の出田敬三(いでた けいぞう)氏で、新校歌は2012年2月21日に教育長へ受領され、同年4月10日の入学式で初披露されています。

校訓・教育目標と学校生活の特色

校訓は「礼(れい)・学(がく)・体(たい)」、学校教育目標は「人権尊重の精神を基底に、知・徳・体の基礎基本を身につけ、自ら考え、行動することのできる生徒の育成」でした(2011年度・最後の学校長挨拶より)。

閉校前の学校生活には、チャイムを用いずに黙想から授業に入る運営や、「挨拶」「学校美化」「残滓ゼロ」を掲げる独自の取り組み、無言清掃といった特色がありました。

校長

阿蘇北中学校では、1960年(昭和35年)の開校から2012年(平成24年)の閉校まで、17代にわたって校長が務めました。初代校長は藤本清人氏、最後(17代目)の校長は麻生廣文氏で、2010年(平成22年)4月に着任しています。

校歌

校歌は1962年(昭和37年)の制定で、作詞は山口白陽(やまぐちはくよう)氏、作曲は出田憲二(いでたけんじ)氏によるものです。歌詞は次のとおりです。

兜岩そびゆる尾根の 朝雲にこだま返して 若人の声はとどろく 阿蘇北中学 眉あげて学ぶよ日々に

芒青き稲田の彼方 火の山は空をこがして 若人の夢もはばたく 阿蘇北中学 胸はりて鍛うよ日々に

大川はさやかに鳴りて 道のべの花はかがやき 若人の時は来向かう 阿蘇北中学 腕くみて進むよ日々に》

所在地・跡地の現状

阿蘇北中学校の最終所在地は、熊本県阿蘇市三久保524番地でした(北緯32度57分53.3秒、東経131度02分02.5秒)。学校自身の公式サイトでも「〒869-2302 阿蘇市三久保524番地 電話:(0967)32-0076 FAX:(0967)32-4632」と案内されており、この住所・電話番号は一次資料で確認できています。

校舎や体育館は閉校後に解体され、跡地は阿蘇市立阿蘇中学校の第二グラウンドとして整備される計画であったことが、阿蘇市広報「あそ」2012年3月号でも報じられています。現地には閉校記念が建立されています。

なお、熊本県阿蘇市黒川1266番地は、阿蘇北中学校と統合した「阿蘇中学校」(初代)の最終所在地です。同地には旧・阿蘇中央病院(昭和25年〈1950〉に旧黒川村で開院)が所在していましたが、施設の老朽化に伴い、平成25年(2013)1月に新病院の建設工事が着手され、平成26年(2014)6月に本館が完成、同年8月に「阿蘇医療センター」として開院しています。阿蘇中学校(初代)の跡地は、この病院の建て替え事業の一環として利用されたとみられます。

よくある質問

Q. 阿蘇市立阿蘇北中学校はいつ、なぜ閉校しましたか。 A. 2012年(平成24年)3月31日、少子化に伴う学校再編により、阿蘇市立阿蘇中学校(初代)と統合して閉校しました。生徒数は開校時の1,038名から閉校時にはおよそ300名まで減少していました。

Q. 阿蘇北中学校はどのようにして誕生した学校ですか。 A. 1960年(昭和35年)、内牧・尾ヶ石・永水の3中学校が統合して開校しました。

Q. 閉校式典はいつ行われましたか。 A. 2012年(平成24年)2月25日です。翌26日には統合相手の阿蘇中学校(初代)の閉校記念式典が行われました。

Q. 阿蘇北中学校の跡地は現在どうなっていますか。 A. 校舎は解体され、阿蘇市立阿蘇中学校の第二グラウンドとして利用されています。

Q. 校訓は何でしたか。 A. 「礼・学・体」でした。

関連項目

  • 阿蘇市立阿蘇中学校
  • 阿蘇市
  • 内牧(うちのまき)
  • 黒川(くろかわ)

参考文献

  • 阿蘇市立阿蘇北中学校公式サイト(2011年時点アーカイブ)「学校紹介」「学校の沿革」「学校長挨拶」「校歌」各ページ
  • 阿蘇市広報「あそ」2012年(平成24年)2月号 p.26-27「阿蘇中・阿蘇北中閉校記念式典」
  • 阿蘇市広報「あそ」2012年(平成24年)3月号 p.8「長い歴史に幕。阿蘇中学校、阿蘇北中学校で閉校式典が行われました」
  • 阿蘇市立阿蘇中学校公式サイト「沿革」
  • ウィキペディア「阿蘇市立阿蘇北中学校」
  • ウィキペディア「阿蘇市立阿蘇中学校」
  • ウィキペディア「阿蘇市」「尾ヶ石村」「永水村」
  • 阿蘇医療センター公式サイト「病院の概要」https://aso-mc.jp/facilities/hospital/summary/ 
更新日: 2014-06-25 (水) 00:00:00 (4423d)