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文化・歴史

高浜虚子句碑

 

概要

高浜虚子句碑(たかはまきょしくひ)は、熊本県阿蘇市大観峰(だいかんぼう)に建つ句碑(くひ)です。俳人(はいじん)・高浜虚子(たかはまきょし)が昭和27年(1952)11月11日に大観峰を初めて訪れた際に詠んだ句「秋晴(あきばれ)の大観峰に今来(いまきた)り」が刻まれています。3年越しの念願であった小国町(おぐにまち)訪問を果たした直後に詠まれた句とされています。

由来・起源

高浜虚子(1874-1959)は、松山生まれの俳人・小説家です。正岡子規(まさおかしき)に師事し、子規から俳誌『ホトトギス』を継承してその発展に尽力しました。「客観写生(きゃっかんしゃせい)」「花鳥諷詠(かちょうふうえい)」を唱え、大正から昭和にかけての俳壇に大きな影響を与えた人物です。昭和29年(1954)には文化勲章を受章しています。

歴史的経緯

昭和24年(1949):果たせなかった小国行き

昭和24年(1949)、九州入りした虚子一行は小国町(おぐにまち)を訪れる予定でしたが、急用のため引き返すこととなり、この時の小国訪問は実現しませんでした。

昭和27年(1952):小国来訪と句碑の由来

3年後の昭和27年(1952)11月11日、78歳の虚子は念願であった小国行きを果たしました。小国町の俳人・笹原耕春(ささはらこうしゅん)氏の邸宅を訪れた後、その足で大観峰へ向かったと伝えられています。目の前に広がる阿蘇の雄大な風景を前に詠んだ句が「秋晴の大観峰に今来り」であり、句碑にはこの句が刻まれています。虚子は後年、このときの経緯を小説『小国』の中で描いています。

小国訪問の際には、もう一句「火の国の火の山傍(そば)の山並みの幾屋根(いくやね)越えて小国やはる」も詠んだと伝えられていますが、この句の出典・初出については確認が取れていません。

現在の状況

大観峰は、かつて阿蘇の「七鼻八石(ななはなやついし)」の一つ「遠見ヶ鼻(とおみがはな)」と呼ばれていましたが、大正11年(1922)、評論家・徳富蘇峰(とくとみそほう)がこの地を訪れた際、当時の内牧町長(うちのまきちょうちょう)の要望により「大観峰」と名付けたと伝えられています。

現在、大観峰の駐車場には高浜虚子句碑のほか、徳富蘇峰による「大観峰」命名の碑や、虚子に師事した俳人・大久保橙青(おおくぼとうせい)の句碑も並んで建てられており、師弟(してい)の句碑として知られています。

よくある質問

Q. 高浜虚子句碑はどこにありますか? A. 熊本県阿蘇市大観峰(だいかんぼう)駐車場付近にあります。徳富蘇峰の「大観峰」命名碑、大久保橙青の句碑と並んで建っています。

Q. 句碑に刻まれている句はどのような句ですか? A. 「秋晴の大観峰に今来り」という句です。昭和27年(1952)11月11日、高浜虚子が念願の小国町訪問を果たした直後に大観峰を訪れて詠んだとされています。

Q. 高浜虚子とはどのような人物ですか? A. 正岡子規(まさおかしき)に師事した俳人・小説家で、俳誌『ホトトギス』を継承し、大正・昭和期の俳壇に大きな影響を与えました。昭和29年(1954)に文化勲章を受章しています。

関連項目

参考文献

  • 熊本日日新聞「【記者日記】虚子招いた小国の俳人」(2023年5月8日)
  • 現地解説板(阿蘇町、旧内牧町域)の記載に基づく伝承
  • 阿蘇ペディア関連記事「大観峰」「碑」「徳富蘇峰
更新日: 2011-12-02 (金) 00:00:00 (5405d)