メインコンテンツへスキップ
行政

小国町

概要

小国町(おぐにまち)は、熊本県阿蘇郡(あそぐん)に属する町で、県の最北端、九州山地に位置しています。町域の約8割を山林が占め、林業(小国杉(おぐにすぎ))と酪農、豊富な温泉資源を背景に「小さな森の国」と称されてきました。北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)の出身地としても広く知られています。

位置と地勢

九州のほぼ中央、熊本県の最北端にあたり、阿蘇外輪山(あそがいりんざん)の外側に位置しています。筑後川(ちくごがわ)の上流にあたり、東部・北部・西部を大分県(日田市、玖珠郡玖珠町・九重町)、南部を南小国町(みなみおぐにまち)と接しています。東西約18km、南北約11km、総面積は136.94平方kmで(境界未定部分あり)、面積の74%を山林が占める農山村地域です。

九州山地の稜線に位置するため気候の変化が激しく、夏は涼しく冬は厳しい高冷地帯(平均気温13℃)にあたります。年間降雨量は約2,300mmと多く、多雨多湿(たうたしつ)な気候は森林の生育に適しています(小国町公式サイト)。

名称の由来

小国町の名称には、阿蘇神社の祭神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)にまつわる伝承が伝えられています。健磐龍命阿蘇山上から四方を眺め、北に放った矢が落ちた場所(現在の大字宮原)を火の神・水の神が巡視した際、地元の者が「臣が国は小さいけれども、四方を青山に囲まれ、皆この地に従っています」という趣旨を申し上げたと伝えられ、この「国小(くにちいさ)なり」という言葉から「小国」の名が起こったとされています(小国町公式サイト)。

沿革

中世

歴史的には阿蘇国(あそのくに)に含まれ、「小国郷(おぐにごう)」と称されていました。中世の小国郷は阿蘇本社領(あそほんしゃりょう)に属し、郷内には満願寺(現南小国町)・宮原・上田・北里などの村が含まれていたと伝えられています。文明16年(1484)8月28日付の「阿蘇十二社(あそじゅうにしゃ)同霜宮(しものみや)最花米(さいはなまい)注文」(『阿蘇家(あそけ)文書(もんじょ)』)には、初穂米を納める在所の一つとして「小国之分(おぐにのぶん)」の記載があり、冠形・秋原・北里・江古尾・上田・波居原など二十数か村の名が見えます(『日本歴史地名大系』)。

近世(江戸時代)

天正16年(1588)に加藤清正が熊本城に入城すると、小国郷は家臣の吉村橘左衛門(よしむらきつざえもん)の統治下に置かれたと伝えられています。寛永9年(1632)に細川忠利(ほそかわただとし)が熊本藩主となって以降は、細川家の支配下に置かれました。

近代以降

明治3年(1870)、旧25か村が合併して9か村となり、さらに明治22年(1889)4月1日の町村制施行により、黒淵村・宮原村・上田村・下城(しもじょう)村・西里村・北里(きたざと)村の6か村が合併して阿蘇郡北小国村(きたおぐにむら)が発足しました(同時に南部の3か村は南小国村となっています)。

北小国村は人口が11,000人余りにのぼり、県内で人口1万人以上の町村で村制を施行していたのはこの北小国村のみでした。また関西方面との産業・経済面での結びつきが強かったことなどを背景に、昭和10年(1935)4月1日に町制が施行され、「北小国村」から「小国町」へと改称しました。町村制施行以降、現在に至るまで市町村合併は行われていません(小国町公式サイト、『小国町について』)。

昭和45年(1970)には総務省(当時の自治省)によって過疎地域の指定を受けています。

産業とくらし

農林業

産業の中心を長く担ってきたのは林業で、町内山林の約75%は「小国杉」として知られるスギ人工林です。農業では大根の生産のほか、昭和30年代(1950年代後半)に導入されたジャージー種(しゅ)乳牛の飼育が盛んで、乳製品は現在も小国町を代表する特産品の一つです。平成6年(1994)時点の産業人口比率は第一次産業27.1%、第二次産業25.4%、第三次産業47.5%で、平成16年度(2004年度)の町内総生産は251億円でした。

昭和32年2月ジャージー種(乳牛)導入時の写真

地熱発電

町内の「わいた地区」は活火山に近い高温の地熱資源に恵まれ、温泉旅館が点在してきました。過疎・高齢化が進むこの地区では、平成23年(2011)に住民30人が出資する合同会社「わいた会」が設立され、発電事業者との協働により平成27年(2015)6月に「わいた地熱発電所」の運転が始まりました。地下630mから噴出する約130℃の蒸気を利用したフラッシュ方式の発電所で、最大出力は1,995kW、年間発電量は標準的な家庭3,900世帯分に相当するとされています。売電収入の一部は住民出資者に配分されるほか、発電後の温水を利用したパクチーやバジルの温室栽培など新たな事業にも活用されています(自然エネルギー財団、2017年時点)。

観光業・温泉

町内には杖立温泉(つえたておんせん)、わいた温泉郷(わいたおんせんきょう)をはじめ、奴留湯(ぬるゆ)温泉山川温泉岳の湯温泉など多くの温泉地が点在しています。平成8年(1996)時点の観光消費額は約40億円と記録されています。

自然災害からの復興

小国町はこれまで、平成3年(1991)の台風19号による風倒木災害、平成5年(1993)の下城・杖立地区における土砂災害、平成17年(2005)の水害など、たびたび風水害に見舞われてきました。

平成28年熊本地震

平成28年(2016)4月に発生した平成28年熊本地震では、小国町でも最大震度5強の揺れを記録し、負傷者6名、住宅の半壊1棟、一部損壊134棟の被害が生じました。地熱資源を活用する「わいた地熱発電所」も生産井が損傷する被害を受けています。小国町は平成29年度(2017年度)に「平成28年熊本地震復興まちづくり計画」を策定し、復旧・復興の方向性を示すとともに、地域防災計画の見直しを進めました(小国町『小国町国土強靭化地域計画』)。

令和2年7月豪雨

令和2年(2020)7月豪雨では、7月7日早朝に記録的短時間大雨情報が発表され、1時間に約110mmの豪雨を観測しました。町と外部を結ぶ国道5ルートのうち4路線が通行止めとなったほか、山間部を中心に土砂崩れが相次ぎ、複数の集落が孤立しました。筑後川の上流部にあたる杖立温泉街では10m以上の水位上昇による氾濫が発生し、旅館・店舗の浸水や営業休止が相次ぎました。山林被害は土砂崩壊等が約70か所、林業作業道の被害も広範囲に及びましたが、人的被害の報告はなかったと伝えられています(阿蘇小国杉のくらし、2020年7月時点の記録)。小国町は「小国町つながる未来基金」による寄付受付や、杖立温泉復興のためのクラウドファンディングなどを通じて復旧・復興に取り組みました。

主な施設・名所

北里柴三郎記念館

北里柴三郎の生家跡と、博士が私財を投じて郷里に寄贈した「北里文庫」を活用した記念館です。北里文庫は大正5年(1916)、博士が郷里の青少年のために私財1万円余りを投じて建てたもので、当時は熊本県立図書館に次ぐ蔵書数(1,511冊)を誇ったと記録されています。現在の記念館は昭和62年(1987)、北里研究所・北里学園が中心となって生家の復元修復や文庫建物の整備を行い、小国町に寄贈されたものです(小国町公式サイト)。

坂本善三美術館

小国町出身の抽象画家・坂本善三(さかもとぜんぞう)(1911年-1987年)の作品と遺品を展示する美術館で、平成7年(1995)に開館しました。「グレーの画家」「東洋の寡黙」とも称され、パリの国際版画展でグランプリを受賞するなど国際的にも評価された画家です。

下城の大イチョウ

大字下城に立つ、樹齢1,000年以上と伝えられる県下最大級のイチョウで、幹回り約10~12m、高さ約25mに及びます。枝から垂れ下がる多数の気根(きこん)が乳房のように見えることから「ちちこぶさん」とも呼ばれ、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定されました。

鍋ヶ滝

落差約10m、幅約20mの滝で、裏側から水のカーテン越しに景色を眺められることから「裏見の滝」とも呼ばれています。阿蘇のカルデラを形成した約9万年前の巨大噴火(Aso-4)によって形成されたとされる地形の一つに数えられています。

小国町出身の主な人物

  • 北里柴三郎(1853年-1931年) 嘉永5年12月20日(西暦1853年1月29日)、総庄屋(そうじょうや)北里惟信(きたざとこれのぶ)の長男として北里村(現・小国町北里)に生まれた細菌学者。破傷風菌の純粋培養法の確立(1889年)や血清療法の発見(1890年)で知られ、「近代日本医学の父」と称されます。令和6年(2024)7月発行開始の千円紙幣の肖像に採用されました。
  • 坂本善三(1911年-1987年) 抽象画家。小国町に生まれ、上京して画業を学んだのち阿蘇山麓・熊本市を拠点に制作を続けました。
  • 宮崎静夫(1927年-2015年) 画家。小国町の農家に生まれ、15歳で満蒙開拓青少年義勇軍(まんもうかいたくせいしょうねんぎゆうぐん)に志願して満州に渡り、シベリア抑留を体験しました。この体験を題材とした「死者のために」シリーズで知られています。
  • 勝野洋(1949年-) 俳優。杖立温泉で旅館を営む家に生まれ、ドラマ『太陽にほえろ!』のテキサス刑事役などで知られています。

統計データ(令和7年〔2025年〕4月現在)

  • 人口:6,222人(男2,966人・女3,256人)
  • 世帯数:2,996世帯
  • (一般財団法人国土地理協会調べ、住民基本台帳に基づく)

参考として、国勢調査による人口の推移は以下のとおりです。

総人口
昭和45年(1970) 12,509人
昭和60年(1985) 10,464人
平成7年(1995) 9,413人
平成17年(2005) 8,621人
平成27年(2015) 7,187人
令和2年(2020) 6,590人

小国町役場公式サイトが公表する統計資料の最新値は令和2年(2020)時点のものであり、上表の令和2年の数値は同資料と一致しています。それ以降の人口・世帯数は、国土地理協会が住民基本台帳をもとに集計した令和7年(2025)4月時点の数値を参考として掲載しています。

よくある質問

Q. 小国町はどこにありますか? A. 熊本県阿蘇郡に属し、熊本県の最北端、九州山地に位置しています。大分県(日田市・玖珠町・九重町)と南小国町(みなみおぐにまち)に隣接しています。

Q. 「小国」という地名の由来は何ですか? A. 阿蘇神社の祭神・健磐龍命にまつわる伝承で、「国小なり(国は小さい)」という言葉に由来すると伝えられています。

Q. 小国町出身の著名人には誰がいますか? A. 「近代日本医学の父」と称される細菌学者・北里柴三郎をはじめ、抽象画家の坂本善三、画家の宮崎静夫、俳優の勝野洋などが知られています。

Q. 小国町は熊本地震でどのような被害を受けましたか? A. 平成28年熊本地震(2016)では最大震度5強を記録し、負傷者6名、住宅半壊1棟、一部損壊134棟の被害が生じました。町は復興まちづくり計画を策定し、復旧・復興に取り組みました。

関連項目

参考文献

  • 小国町公式サイト「小国町について」「町の沿革」「北里柴三郎記念館」
  • 小国町『小国町国土強靭化地域計画』
  • 一般財団法人国土地理協会「市町村別人口・世帯数」(2025年4月調査)
  • 『日本歴史地名大系』「小国郷」項(コトバンク所収)
  • 北里大学「北里柴三郎の生涯」
  • 熊本日日新聞社ほか宮崎静夫関連報道・展覧会資料
  • 自然エネルギー財団「地熱発電で年間6億円の収入を過疎の町に」(2017年7月25日)
  • 阿蘇小国杉のくらし「令和2年7月豪雨による熊本県小国町への影響と、ご支援のお願い」(2020年7月15日)
  • ふるさとチョイス災害支援「令和2年7月豪雨で被災した熊本県小国町の復興支援をする」

更新日: 2015-01-22 (木) 00:00:00 (4256d)