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文化・歴史

阿蘇森傳治(あそもりでんじ)

概要

阿蘇森傳治(あそもりでんじ)とは、江戸時代後期に活動したと伝えられる力士です。熊本藩の豊後街道坂梨(さかなし)宿(現・熊本県阿蘇市一の宮町坂梨)の出身とされ、享和(きょうわ)二年(1802)五月の大阪相撲番付表に西方前頭(まえがしら)十二枚目として記載されていることが確認されています。

出身地・坂梨宿と相撲の伝統

坂梨宿は豊後街道の宿場町で、江戸時代には藩主が宿泊休息をとる御茶屋をはじめ、旅人宿・木賃宿・酒造業など屋号を持つ家が50数軒軒を連ね、栄えていました。同地区の馬場(ばば)八幡宮(はちまんぐう)の秋の例大祭では相撲大会が開催され、阿蘇郷をはじめ熊本各地から力士たちが集まったと伝えられています。設置された貴賓席のすだれ奥には、大相撲の司家(つかさけ)である吉田司家(よしだつかさけ)の当主も度々観覧したと伝えられています。

吉田司家とは、江戸時代に肥後熊本藩細川家に仕え、力士・行司(ぎょうじ)の格付けや横綱免許などを全国的に統括した相撲の家元です。

坂梨宿の力士たちは、農閑期を利用して村々を巡る草相撲(くさずもう)興行に参加し、その中で力をつけた者が大阪相撲・京都相撲・江戸相撲のいわゆる三都を目指したものと考えられています。

力士としての経歴

阿蘇森傳治について確認されている記録は、享和二年(1802)五月の大阪相撲番付表における西方前頭十二枚目としての記載です。前頭とは、大相撲の番付で大関・関脇・小結の三役の下に位置する幕内力士の階級を指します。当時の番付で前頭十二枚目に名を連ねたことは、幕内下位ながら三都の一つである大阪相撲の番付に地方出身の力士として記載された実力者であったことを示していると考えられます。

出生地の詳細や生没年、本名、大阪相撲入り以前の経歴などについては、現時点で判明していません。

阿蘇森傳治の墓

坂梨地区の地域活動として実施された墓石調査により、阿蘇森傳治の墓を含め、この地区の出身とされる力士の墓が計4基確認されています。阿蘇森傳治以外の3名の力士については、経歴の詳細は明らかになっていません。

現在への継承

坂梨小学校相撲部の児童は、大会などの機会に阿蘇森傳治をはじめとする先輩力士の墓へ参拝しており、その活躍を偲びながら日々の練習に励んでいます。

よくある質問

Q. 阿蘇森傳治はどのような力士ですか? A. 江戸時代後期、熊本藩豊後街道坂梨宿の出身と伝えられる力士です。享和二年(1802)五月の大阪相撲番付表に西方前頭十二枚目として記載されています。

Q. 「前頭十二枚目」とはどの程度の地位ですか? A. 前頭は幕内力士のうち三役を除く階級で、番付全体の中では幕内下位に位置します。ただし、当時の大阪相撲の番付に名を連ねること自体、地方出身の力士としては高い到達点であったと考えられます。

Q. 坂梨からは他にも力士が出ていますか? A. 坂梨地区の墓石調査により、阿蘇森傳治を含めて計4名の力士の墓が確認されています。ただし、阿蘇森傳治以外の3名については詳しい経歴は分かっていません。

Q. 坂梨宿にはどのような相撲の伝統がありますか? A. 馬場八幡宮の秋の例大祭で相撲大会が開催されてきた伝統があり、地域の子どもたちが参加する形は現在も坂梨小学校相撲部などに受け継がれています。

更新日: 2026-08-27 (木) 05:55:22 (3d)