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文化・歴史

金子昌子(かねこまさこ)

概要

金子昌子(かねこまさこ)は、阿蘇市出身の画家です。遺族が運営する金子昌子美術館によると、故郷は一の宮町宮地(いちのみやまちみやじ)で、孔雀(くじゃく)や花を主題とした作品を多く制作し、日展(にってん)に入選しました。

1980年代には美術雑誌で紹介され、日本を代表する画家との評価も受けたとされています。

金子昌子は故人です。令和2年(2020)から令和6年(2024)にかけて、遺族側から阿蘇市内の施設などへ絵画が寄贈・奉納されました。令和7年(2025)3月時点で、阿蘇市域に所在する作品は10点です。

いつくしみ

生い立ち

阿蘇での幼少期

遺族が運営するウェブサイト「金子昌子美術館」によると、金子昌子の故郷は阿蘇市一の宮町宮地で、幼少期から高校卒業までを阿蘇で過ごしました。阿蘇市公式サイトは、金子昌子を「阿蘇市出身の画家」と紹介しています。

同サイトは、戸籍上の出生地を大分県玖珠郡の豊後森(ぶんごもり)としています。一方で、金子昌子自身の記憶に残る原風景は一の宮町宮地であったと伝えられています。

父は林業関係の仕事に就いており、勤務地の異動により大分県玖珠郡や南阿蘇の久木野村(くぎのむら)を経て、一の宮町宮地に戻ったと記されています。

阿蘇神社の境内と絵の原点

金子昌子には兄が二人いました。7、8歳の頃、兄たちと阿蘇神社(あそじんじゃ)の境内で遊び、落ちていた木の枝で地面に鳩の絵を描いていたという逸話が伝えられています。当時の境内は、現在の玉砂利ではなく土であったとされています。

兄たちに絵を褒められたことが、絵を描くことに深く向かう契機になったと記されています。

母は、金子昌子が9歳の時に亡くなりました。遺族運営サイトは、この前後に絵への傾倒がいっそう深まったとし、阿蘇神社の境内を金子昌子の「絵の原点」と位置づけています。

学びと教職

金子昌子は、18歳で熊本大学に入学し、教育学部美術科で学びました。卒業後は小学校教諭となり、初任校は熊本市立五福小学校(ごふくしょうがっこう)でした。数年間勤務し、のちの教え子が30年、40年を経ても訪ねてきたと伝えられています。

熊本大学入学以降は熊本市内に住みました。結婚後は夫の転勤に伴い福岡市、北九州市、大野城市にも居住しましたが、壮年期以降は熊本市内に定住したとされています。

画業

主題と制作方法

金子昌子の主題は、孔雀と花です

遺族運営サイトによると、花のデッサンは数千枚に及びます。デッサンには、彩色を施した「彩色デッサン」と、墨線のみで描く「白描(はくびょう)デッサン」があります。

孔雀のデッサンは、熊本市動植物園に通って行われました。連日、朝から夕方まで孔雀舎の前で描き続けたため、園側が特別にケージ内でのデッサンを認めたという逸話が伝えられています。

美術雑誌での紹介

遺族運営サイトによると、金子昌子の作品は次の美術雑誌で紹介されました。

  • 『芸術グラフ』
  • 『美術グラフ』
  • 『毎日グラフ』
  • 『芸術公論』

同サイトは、森田文雄、秋沢国男、水上杏平、佃堅輔、川澄吉広らの美術評論家が、1980年代に金子昌子を高く評価したと記しています。主な掲載・評価は次のとおりです。

  • 昭和58年(1983)8月号の『芸術グラフ』で、森田文雄が金子昌子の膨大なスケッチの蓄積に言及しました。
  • 昭和58年(1983)8月号の『美術グラフ』第4巻8号(通巻22号)に、「鳥界(威風)」が掲載されました。
  • 昭和59年(1984)7月号の『芸術グラフ』第5巻6号(通巻32号)に、「現代注目作家」として4点がカラーで掲載されました。森田文雄が評価しました。
  • 昭和60年(1985)6月16日の『毎日グラフ』の「現代作家20選」で、秋沢国男が「鳥界(待春)」に調和がうかがえると評しました。
  • 昭和61年(1986)6月29日の『毎日グラフ』で、佃堅輔が「鳥界(春夢)」を評しました。
  • 昭和62年(1987)5月号の『芸術公論』第4巻第3号(通巻19号)で、佃堅輔が孔雀のデッサンを評価しました。同号には、デッサン3点が掲載されました。
  • 昭和63年(1988)の『芸術公論』第5巻3号(通巻25号)の「女流作家18人」で、嶋田三郎が「遊苑」を評価しました。
  • 昭和63年(1988)には、『芸術グラフ』第9巻6号の「佃堅輔の選んだ年間ベスト10」に、「遊苑」と「風わたる」が選ばれました。
  • 平成2年(1990)には、『芸術公論』第7巻6号の「日・米・欧 厳選作家による誌上交流」で、日本を代表する画家として紹介されました。同号で、川澄吉広が「宴(うたげ)」を高く評価しました。

日展入選

阿蘇市公式サイトは、金子昌子が日本最大級の総合美術展覧会である日展に入選したと紹介しています。

遺族運営サイトの作品解説は、「舎のとり」(昭和52年(1977))と「華麗なる闘魂(とうこん)」(昭和53年(1978))を日展入選作とし、2年連続の入選であったと記しています。

熊本市動植物園が所蔵する「題未詳」については、孔雀の写生を重ねて日展に2年連続で入選したのち、感謝を込めて金子昌子自身が寄贈した作品と考えられるとしています。

日展以外では、「鳥界(威風)」(昭和58年(1983))が第49回東光展に入選したと、同サイトは記しています。

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舎のとり

作風の区分

遺族運営サイトは、代表作(雑誌掲載作品を含む)を、次の五期に分けて公開しています。各期の境界年は明示されていません。表の年代は、同サイトが各期に分類した作品の制作年にもとづく目安です。

期 名称 作品の制作年(目安) 特徴 主な作品(括弧内は制作年)
第一期 修練期 昭和52〜55年(1977〜1980) 熊本市動植物園の孔雀舎で写生した孔雀を描き、複数の孔雀が美を競う構図を主とします。後半に背景の抽象化が進み、画面から色が抜け始めます。 「舎のとり」(1977)、「華麗なる闘魂」(1978)、「火花」(1979)、「華麗なる競演」(1979)、「貴婦人」(1980)
第二期 開花期 昭和57〜61年(1982〜1986) 「鳥界」の連作が制作され、孔雀の羽と花が溶け合い始めます。第三期への過渡期とされています。 「天の鳥」(1982)、「鳥界」(1983)、「鳥界(威風)」(1983)、「鳥界(待春)」(1985)、「阿蘇の雲海」(1985)、「競華」(1986)
第三期 爛熟期 昭和60〜平成7年(1985〜1995) 孔雀の羽の位置に百合などの花を重ねる手法が現れ、闘争の主題から離れます。鮮明な色彩の作品が増えます。 「鳥界(春夢)」(1986)、「いつくしみ」(1987)、「遊苑」(1988)、「風わたる」(1988)、「追憶」(1988)、「ほとばしる情熱」(1993)、「希望」(1993)
第四期 深化期 平成2〜11年(1990〜1999) 孔雀を描かない作品が現れ、『源氏物語絵巻』の雲(源氏雲(げんじぐも))や花を主題とします。ニューヨークでの個展を意識した作品とされています。 「宴」(1990)、「凛」(1991)、「光」(1996)、「風月」(1997)、「天空の花」(1998)、「初夏」(1999)
第五期 昇華期 平成13〜25年(2001〜2013) 色鉛筆による曼荼羅5点です。 「曼荼羅A」(2001)、「曼荼羅E」(2004)、「曼荼羅D」(2007)、「曼荼羅B」(2009)、「曼荼羅C」(2013)

各期には花を主題とする作品も分類されており、表の年代に収まらないものがあります。第一期には、昭和30年(1955)の「ひまわり」(大学の卒業制作か、と同サイトは記します)や、昭和48年(1973)の「紫陽花」が含まれます。また、第三期と第四期は年代が重なります。このため、五期の区分は、時期の区切りというより作風の区分であると考えられます。

第一期から第二期にかけては、孔雀の写実から、花と一体化した姿への移行が進みます。第三期の「いつくしみ」(昭和62年(1987))について、同サイトは、これ以降の作品で孔雀の「闘争の世界」を描かなくなる転機とみています。

第四期の「凛(りん)」(平成3年(1991)、190cm×170cm)は、同サイトが「130号変形の超大作」とし、金子昌子の最大の作品とする作品です。ニューヨークでの個展では、主要な壁面の中央に飾る候補であったと伝えられています。

第五期の曼荼羅は、5点のうち「曼荼羅C」のみがやや大きく、約32cm×23cmです。ほかの4点は約22cm×18cmです。「曼荼羅C」は、令和元年(2019)の個展で、5点の中心に展示されました。同サイトは、金子昌子が至った境地を、金剛界(こんごうかい)曼荼羅と胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅の融合と解釈しています。

「鳥界」は、闘争や競争に明け暮れる鳥の群れの世界を意味する題名で、金子昌子が好んだ主題とされています。「鳥界」(1983)、「鳥界(威風)」(1983)、「鳥界(待春)」(1985)、「鳥界(春夢)」(1986)の4作が、関連作とされています。

遺族運営サイトは、孔雀の群れを描いた作品について、金子昌子が美の背後にある「生のありよう」を見つめていたと解釈しています。

影響を受けた画家として、初期にはゴッホとピカソ、中後期には田中一村とマリー・ローランサンが挙げられています。第三期の精緻な描写には、伊藤若冲の画集を見返していた影響がみられるとされますが、同サイトはその影響を技術的なものにとどまると説明しています。

平成に入った1990年代以降の金子昌子は、深い瞑想の時期に入り、多くを描かなくなったとされています。最後に至ったのは、曼荼羅(まんだら)の世界であったと記されています。

令和元年(2019)の個展

令和元年(2019)、大阪府池田市の画廊ぶらんしゅで個展が開かれました。遺族運営サイトによると、雑誌に掲載された名作の多くがほとんど無傷のまま、約30年ぶりに公開されました。

金子昌子はニューヨークでの個展を構想していたとされ、100号を超える大作を含む代表作の多くが、遺族のもとで保管されていました。このため、画風の変遷を追うことができるとされています。金子昌子美術館は、この個展をきっかけに設立されたオンライン美術館です。

寄贈・所蔵

経緯

金子昌子の作品は、遺族側により、ゆかりの地へ順次寄贈されました。

  • 令和2年(2020)9月:母校の阿蘇高校(現在の熊本県立阿蘇中央高校阿蘇校舎)に1点を寄贈しました。同月、熊本市立五福小学校と熊本市立泉ヶ丘小学校(いずみがおかしょうがっこう)にも、それぞれ1点が寄贈されました。
  • 令和6年(2024)8月:熊本大学アートギャラリー事業に2点が寄贈されました。
  • 令和6年(2024)8月9日:遺族の野中哲照氏(國學院大學教授、金子昌子の娘の夫)が阿蘇市役所を訪れ、絵画8点を寄贈しました(阿蘇市公式サイト)。阿蘇市は、この寄贈を『広報あそ』No.236(令和6年(2024)9月号)で紹介しました。
  • 令和6年(2024)11月:阿蘇神社に「華麗なる競演」が奉納され、斎館に飾られました。
  • 令和6年(2024)11月:肥後銀行本店の「肥後の里山ギャラリー」に「追憶」が寄贈されました。

熊本大学アートギャラリーは、熊本大学教育学部の松永拓己(まつながたくみ)教授が主宰する巡回美術展事業です。熊本県内の画廊、企業、病院などで巡回展を行っています。

阿蘇市域の作品(10点)

阿蘇市域に所在する作品は、次の10点です(令和7年(2025)3月時点、金子昌子美術館)。寸法は原典の表記のままで、技法はいずれも油彩です。

番号 作品名 制作年 寸法 所在
1 華麗なる競演 昭和54年(1979) 162×97 阿蘇神社 斎館(さいかん)
2 紫陽花(あじさい)Ⅲ 昭和47年(1972) 76×68 阿蘇市役所 1階ロビー
3 阿蘇の雲海 昭和60年(1985) 162×112 熊本県立阿蘇中央高校 阿蘇校舎
4 天空の花 平成10年(1998) 91×117 阿蘇市営温泉センター 坊中温泉「夢の湯」
5 天の鳥 昭和57年(1982) 162×132 阿蘇市農村環境改善センター
6 鳥界(待春) 昭和60年(1985) 162×130 阿蘇やまなみ病院
7 うれしはずかし 平成7年(1995) 39×30 肥後銀行 内牧(うちのまき)支店
8 ほとばしる情熱 平成5年(1993) 46×53 熊本県信用組合 阿蘇支店
9 みなぎる気力 平成4年(1992) 33×44 阿蘇郵便局
10 希望 平成5年(1993) 55×64 肥後山田郵便局

「華麗なる競演」は、『芸術グラフ』第5巻6号(通巻32号)で紹介された作品です。「天の鳥」は、同誌掲載作品の姉妹編とされています。「鳥界(待春)」は、『毎日グラフ』第38巻23号(通巻1862号)に掲載された作品です。「阿蘇の雲海」の寸法は、作品解説では163cm×130cmとされています。

熊本市域・鹿児島市の作品

熊本市域には6点があります。

  • 熊本市動植物園:「題未詳」(金子昌子自身による寄贈)
  • 熊本市立五福小学校:「舎のとりⅡ」
  • 熊本市立泉ヶ丘小学校:「鳥界」(昭和58年(1983))
  • 熊本大学アートギャラリー事業:「競華」(昭和61年(1986))、「百合」(昭和59年(1984))
  • 肥後銀行本店(肥後の里山ギャラリー):「追憶」(昭和63年(1988))

鹿児島市の南日本銀行本店にも、「出会い」(昭和60年(1985)、162cm×130cm)があります。阿蘇市10点、熊本市6点、鹿児島市1点の計17点について、遺族運営サイトが「金子昌子 絵画マップ」を作成し、令和7年(2025)2月13日に完成を告知しました。

公開状況と留意事項

阿蘇神社と熊本県立阿蘇中央高校阿蘇校舎に所在する作品は、無断で立ち入ることができません。

そのほかの施設に所在する作品も、各施設の利用時間と規則に従う必要があります。展示場所は、展示替えなどにより変わる場合があります。また、各施設が鑑賞を目的とした見学を受け付けているとは限りません。

よくある質問

Q. 金子昌子とは、どのような人物ですか。 A. 阿蘇市出身の故人の画家です(阿蘇市公式サイト)。遺族運営サイトによると、故郷は一の宮町宮地です。孔雀と花を主題とする作品で知られ、日展に入選しました。

Q. 金子昌子の作品は、阿蘇市内に何点ありますか。 A. 令和7年(2025)3月時点で10点です。うち8点は、令和6年(2024)8月に遺族が阿蘇市へ寄贈しました。

Q. 金子昌子は、なぜ阿蘇神社の境内が原点とされるのですか。 A. 遺族運営サイトによると、幼い頃に境内の地面へ鳩の絵を描き、兄たちに褒められたことが、絵を描き続ける契機になったためです。

Q. 金子昌子の作品は、どの雑誌で紹介されましたか。 A. 『芸術グラフ』『美術グラフ』『毎日グラフ』『芸術公論』などで紹介されたと、遺族運営サイトに記されています。

関連項目

参考文献

  • 阿蘇市公式サイト「鮮やかな名画 ふるさとへ 故・金子昌子さん制作の絵画を寄贈」
  • 阿蘇市公式サイト「字名一覧」
  • 『広報あそ』No.236
  • 金子昌子美術館https://www.kanekomasako.com/ 
    • 「概要」
    • 「金子昌子 絵画マップ」
    • 「阿蘇市域に金子昌子の絵が10点!」
    • 「金子昌子の原点 阿蘇神社」
    • 「肥後銀行本店(肥後の里山ギャラリー)に寄贈」
    • 「熊本大学アートギャラリー事業に2点!」
    • 「美術評論家も評価した昌子のデッサン」
    • 「金子昌子と伊藤若冲」
    • 「第1期 修練期」「第2期 開花期」「第3期 爛熟期」「第4期 深化期」「第5期 昇華期」
更新日: 2026-10-06 (火) 05:50:31 (0d)