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文化・歴史

キラキラ事件

概要

キラキラ事件(きらきらじけん)とは、昭和20年(1945)5月5日、阿蘇郡南小国村(みなみおぐにむら)(現在の南小国町(みなみおぐにまち))で発生した、撃墜されたアメリカ軍機の搭乗員をめぐる事件です。落下傘(らっかさん)で降下した米兵5人のうち1人が警察に射殺され、3人が捕虜として憲兵(けんぺい)に引き渡されました。事件の名称は、軍事裁判における証言の聞き違いに由来すると伝えられています。

事件の背景

昭和20年(1945)5月5日、アメリカ軍のB-29爆撃機編隊はグアム島の基地から九州北部の空襲に向かい、帰投の途上で日本軍戦闘機の攻撃を受けました。この空中戦により、熊本・大分県境付近の上空で複数の機体が撃墜され、搭乗員が阿蘇山中の各地に落下傘で降下しています。同日に阿蘇へ降下した搭乗員をめぐっては、南小国村のほか、星和(せいわ)地区(現・阿蘇市)などでも米兵と地元住民が遭遇する事態が発生しており、NHKアーカイブスにもこれらの出来事を扱った記録が残されています(NHKアーカイブス「B29墜落 “敵兵”と遭遇した村 ~熊本県・阿蘇~」)。

なお、同日に阿蘇山中へ降下した搭乗員の一部は、後に「九州大学生体解剖事件」として知られる戦争犯罪事件の被害者となったことが広く知られています。ただし、南小国村に降下した5人とこの事件との人物レベルでの関連は、現時点で確認できていません。

事件の経緯

昭和20年(1945)5月5日朝、阿蘇郡南小国村(現在は南小国町)で米軍爆撃機が撃墜され、米兵5人が同村あざみが原に落下傘で降下しました。警察は消防団とともに山狩り、拳銃で反抗する1人を射殺し、3人を捕虜(1人自殺)にして憲兵に渡し、遺体は埋葬しました。

名称の由来

後日、軍事裁判で山下金作(やましたきんさく)警部補(けいぶほ)が降下状況を聞かれ「米兵の胸がキラキラ光っていた」と言ったのを、米軍は「落下傘の米兵をキラー(殺せ)と言った」と誤解したと伝えられています。これ以来、この事件をキラキラ事件というようになったとされています。

なお、この名称の由来および証言者名については、南小国町の地域伝承として語り継がれてきたものであり、外部の公刊史料による裏付けは現時点で確認できていません。

現在の状況

本件について、南小国町内における慰霊の有無や、戦後の追悼行事の実施状況は、2026年7月時点で確認できていません。地元における記録・証言が残っている場合は、追記が望まれます。

よくある質問

Q. キラキラ事件はどこで起きましたか? A. 阿蘇郡南小国村(現在の南小国町)のあざみが原で起きました。

Q. なぜ「キラキラ事件」と呼ばれるのですか? A. 軍事裁判での「米兵の胸がキラキラ光っていた」という証言を、米軍側が「キラー(殺せ)」と誤解したことに由来すると伝えられています。

Q. この事件は他の戦争犯罪事件と関係がありますか? A. 同じ昭和20年(1945)5月5日、阿蘇山中に落下傘で降下した米軍搭乗員の一部は、後に九州大学生体解剖事件の犠牲者となったことが知られています。ただし、南小国村に降下した5人との直接の関連は確認されていません。

関連項目

  • 南小国町
  • 九州大学生体解剖事件
  • BC級戦犯

参考文献

更新日: 2016-01-14 (木) 00:00:00 (3842d)