阿蘇の草原(そうげん)とは、阿蘇カルデラ一帯に広がる日本最大規模の半自然草原(はんしぜんそうげん)です。 野焼き(のやき)・放牧(ほうぼく)・採草(さいそう)という人の営みによって約1,000年以上にわたり維持されてきた、人と自然の共創資産として知られています。 草原面積は約22,000ヘクタールで日本最大の野草地面積を誇り、ハナシノブやヒゴタイをはじめ絶滅危惧種が集中する生物多様性ホットスポットでもあります(阿蘇草原保全活動センター 平成23年調査)。

概要
阿蘇は、昭和9年(1934年)に指定を受けた80年の歴史を有する阿蘇くじゅう国立公園の一部です。
中央部には根子岳(ねこだけ)、高岳(たかだけ)、中岳(なかだけ)、烏帽子岳(えぼしだけ)、杵島岳(きしまだけ)からなる阿蘇五岳がそびえ、その周囲に外輪山(がいりんざん)を形成し、カルデラの上に広大な草原が広がっています。
早春(そうしゅん)の野焼きが終わると初夏には広大な緑の草原が広がり、秋には緑の草原は黄金色にその姿を変え、ススキの穂波が秋風にゆらめく風景は阿蘇ならではの風物詩です。
この地を訪れた夏目漱石は初めての阿蘇行での印象を「二百十日(にひゃくとおか)」の中でこう詠んでいます。
行けど萩ゆけど芒(すすき)の原広し
草原の種類
草原は利用方法・管理方法の違いによって主に次の3タイプに分けられます(環境省 阿蘇くじゅう国立公園)。
- 放牧地(ほうぼくち) ── 牛馬を放し飼いにする場所。年間を通じた採食により「短草型草原」が形成され、シバが優占します。
- 採草地(さいそうち) ── 家畜の餌や堆肥製造のための草を刈り取る場所。ススキが高く伸びる「長草型草原」で、ハナシノブ・ヒゴタイ・ヤツシロソウ・ユウスゲなど多様な草原植物が生育します。
- 茅野(かやの) ── ススキを主体とし、茅葺き(かやぶき)屋根の材料として利用されてきた草原。
草原の成り立ちと歴史
降水量の多い日本では、人の手が入らなければ草地は段階的な遷移(せんい)によってやがて森林へと変化します。 阿蘇の草原が「自然草原」ではなく「二次的草原(にじてきそうげん)」(半自然草原)と呼ばれるのは、長年にわたる人の管理によって遷移を止め、維持されてきたからです(阿蘇草原保全活動センター)。
阿蘇の草原が文献に登場するのは、平安時代中期延喜5年(905年)に作成されたとされる『延喜式(えんぎしき)』です。 同書には、阿蘇郡内の牧で優れた馬が生産され、都や大宰府(だざいふ)に献上された記録が残っています。 このことから、少なくとも約1,000年前には人々が草原を利用・維持する作業を行っていたと考えられています(阿蘇草原保全活動センター)。
阿蘇の草原は1000年前から、そこに住み農業を営んできた先人達が牛馬を養い、放牧・採草・野焼などの営みを続けてきた結果として維持・継承されてきたものなのです。
人々は、営々と草原を利用するために、草原に手を加え、その環境を維持・管理してきました。 阿蘇の人々の営みは、草原とともにあったといっても過言ではありません。
生態系の価値
阿蘇の草原に生育する植物は約600種にのぼり、国内でも絶滅危惧種が集中する生物多様性ホットスポットの一つとなっています(阿蘇グリーンストック)。 熊本県に生息するチョウ類約117種のうち109種が阿蘇で確認されており、「阿蘇はチョウの楽園」とも称されています。
草原を代表する希少種として以下が挙げられます。
- ハナシノブ(環境省絶滅危惧IA類・熊本県特定希少野生動植物):阿蘇固有の多年草。採草地に生育し、8〜10月に青紫色の花を咲かせます。
- ヒゴタイ(環境省絶滅危惧IB類):阿蘇のシンボル植物。晩夏から秋に球状の青紫色の頭花をつけます。
- オオルリシジミ(環境省絶滅危惧IB類):クララを食草とする美しい青色のチョウ。採草地の維持がなければ生息できません。
これらの希少種の多くは、最終氷河期以降に日本列島の大半から消失した植物・動物であり、九州がユーラシア大陸と陸続きであった時代の遺存生物でもあります(阿蘇地域世界農業遺産推進協会)。
草原の現状と保全
阿蘇の7市町村の草原面積は、過去100年の間に半分以下にまで減少しており、近年もその傾向が続いています(阿蘇グリーンストック 2024年)。 1950年代以降の耕運機普及・化学肥料の普及・牛肉輸入自由化などにより牛馬の需要が低下し、放牧や採草が行われない草原が増えたことが主な原因です。
草原管理を担う牧野組合(ぼくやくみあい)では組合員の高齢化と後継者不足が深刻化しており、「今後10年以上の野焼きを継続できる」と答えた組合は全体の約4分の1にとどまるという調査結果もあります(阿蘇グリーンストック)。 野焼きが行われなくなった草地は低木が侵入して藪(やぶ)となり、やがて森林化が進みます。
こうした状況を受け、環境省・熊本県・阿蘇グリーンストックなどが連携した「阿蘇草原再生プロジェクト」が進められています。 また、平成25年(2013年)には阿蘇の草原を基盤とした農業システムが「阿蘇の草原の維持と持続的農業」として国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS=ジアス)に認定されています。
よくある質問
Q. 阿蘇の草原はなぜ「半自然草原」と呼ばれるのですか? A. 日本の気候では、人の手が入らなければ草地は遷移によってやがて森林へと変化します。 阿蘇の草原は野焼き・放牧・採草という人の管理によって長年にわたり維持されてきたため、「自然草原」ではなく「二次的草原(半自然草原)」と呼ばれます。
Q. 阿蘇の草原はどのくらいの広さですか? A. 約22,000ヘクタール(平成23年調査)で日本最大の野草地面積を誇ります。 うち約16,000ヘクタール(約72%)が野草地です(阿蘇草原保全活動センター)。
Q. 野焼きをしないと草原はどうなりますか? A. 野焼きが行われなくなった草地は低木が侵入して藪となり、やがて森林へと変化していきます。 草原に特有の希少植物・昆虫も生息環境を失うことになります。
参考文献
- 阿蘇草原保全活動センター「阿蘇の草原についてQ&A」
- 阿蘇グリーンストック「草原の危機」(2024年2月)
- 阿蘇グリーンストック「阿蘇の草原の恵み」
- 環境省 阿蘇くじゅう国立公園「阿蘇の草原の種類」
- 阿蘇地域世界農業遺産推進協会「広がる命」
- 阿蘇火山博物館「2-2-01 阿蘇の草原維持と環境」
