概要
草原景観(そうげんけいかん)とは、阿蘇地域一帯に広がる大規模な半自然草原と、それによって形づくられる景観を指す言葉です。阿蘇の植物景観の中心をなすもので、外輪山上から中央火口丘(ちゅうおうかこうきゅう)北麓(ほくろく)にかけて広範囲に分布しています。かつてその面積は6万ヘクタールに及んだともいわれ、日本を代表する山地草原の一つとされています。
分布と規模
阿蘇の草原は、外輪山上と中央火口丘北麓の双方に広がっています。
- 北外輪山:二重(ふたえ)の峠(とうげ)から九州横断道路にかけて、約1万ヘクタールの原野が広がっています。
- 東部:波野(なみの)ヶ原、さらに東南部の原野へと連続し、大分県の久住(くじゅう)山麓(さんろく)まで続いています。
- 久住高原との連続性:久住高原と合わせた草原の広がりは西日本最大規模とされ、日本国内では箱庭(はこにわ)的な景観が多い中で、大陸的なスケール感を持つ草原として、北海道や東北地方の草原と並び称されています。
草原を維持する仕組み:野焼き
阿蘇の草原景観は、自然のまま放置すれば樹木が侵入し、やがて森林へと遷移(せんい)していきます。毎年春に行われる野焼きによって樹木の侵入が抑えられ、草原としての景観と生態系が長期にわたり維持されてきました。野焼きの具体的な時期・手順については、別項目「野焼き」を参照してください。
生物地理学的な特徴
阿蘇の草原には、湿地を含めると600種以上の植物が生育しているとされています。特徴的なのは、朝鮮半島から中国東北部にかけて分布する植物との共通種が多い点です。
これは、現在より気温が低く日本列島がユーラシア大陸と陸続きだった時代に分布を広げた植物が、その後の気候の温暖化にともなって多くの地域で衰退(すいたい)する一方、阿蘇では冷涼な山地気候によって生き残ったためと考えられています。このような植物は大陸系遺存種(たいりくけいいぞんしゅ)と呼ばれます。また、これらの中には長期間の地理的隔離(かくり)によって種分化(しゅぶんか)し、固有種(こゆうしゅ)や固有亜種(こゆうあしゅ)となったものもあります。
阿蘇草原の固有種・希少種
阿蘇の草原には、分布が極めて限られた植物が多数生育しています。
- 阿蘇の草原固有種:ハナシノブ、ツクシマツモト、アソタカラコウ
- 阿蘇から九重にかけての草原だけで生育が知られる種:アソノコギリソウ、ヒゴシオン、ヤツシロソウ、ヒロハトラノオ、ツクシシオガマ、ツクシフウロ、ツクシクガイソウ、ケルリソウ
- 阿蘇で最初に発見された種:阿蘇日陰菫(あそひかげすみれ)、阿蘇菊葉菫(あそきくばすみれ)
季節の花ごよみ
阿蘇の草原は野の花の宝庫で、四季を通じて彩りが移り変わります。春が遅い阿蘇では4月になってようやく日平均気温が5度を超え、早春の候を迎えます。以降、月を追うごとに開花する植物が入れ替わっていきます。
| 月 | 主な開花植物 | 備考 |
|---|---|---|
| 4月 | スミレ類、黄菫(きすみれ)、ハルリンドウ、オキナグサ、イチリンソウ、ツクシシオガマ | 長草型(ちょうそうがた)の草原ではススキが伸びる前の短い期間に集中して咲く。北外輪山の湿地ではサクラソウ、リュウキンカも開花 |
| 5月 | オカオグルマ(上旬)、ノアザミ(中旬)、スズラン、シライトソウ(下旬) | スズランは東外輪山の波野ヶ原で見られ、九州では阿蘇だけで知られる。シライトソウは強い芳香を放つ |
| 6月 | オカトラノオ、クララ、ハナウド、ユウスゲ、ノハナショウブ、カワラナデシコ(下旬) | ノハナショウブの開花は梅雨入りの目安。東外輪山上ではハナシノブ、ツクシマツモト、アソタカラコウ、ヒメユリも開花 |
| 7月 | アソノコギリソウ、ツクシクガイソウ、ヤブカンゾウ、ハンカイソウ、クサフジ、ツルフジバカマ、オミナエシ、サイヨウシャジン、オグルマ、ワレモコウ、コオニユリ(下旬)、マツムシソウ(下旬) | 北外輪山の湿地ではエゾミソハギ、オグラセンノウも開花。下旬に日平均気温20度を超え、暦の上での立夏から約2か月遅れて初夏の候を迎える |
| 8月 | ヤツシロソウ、キツネノカミソリ、ホソバシュロソウ、ヒロハトラノオ、タムラソウ(中旬)、ヒゴタイ(中旬、東外輪山) | 北外輪山の湿地ではツクシフウロ、シラヒゲソウも開花。下旬には日平均気温が20度を下回り、ヤマハギ、シラヤマギクが咲いて秋の気配となる |
| 9月 | シオン、キオン、タチフウロ、ウメバチソウ(下旬)、センブリ(下旬)、アキノキリンソウ(下旬) | 北外輪山の湿地ではヒゴシオンも開花 |
| 10月 | リンドウ、ヤマラッキョウ、ツクシアザミ、ハバヤマボクチ | 日平均気温は月初で15度、下旬には10度を下回り初霜を迎える。下旬にはミヤマカンギク、ヤクシソウが咲き終え、冬枯れの野へと移る |
阿蘇草原と文化
明治期の文人夏目漱石(なつめそうせき)は、最初の阿蘇行の印象を紀行文『二百十日(にひゃくとおか)』の中で「行けど萩ゆけど芒(すすき)の原広し」と詠(よ)んでいます。ここで詠まれているのは主に中央火口丘北麓の草原とされ、外輪山上にはさらに広大な草原が広がっています。
保全状況
阿蘇の草原固有種・限定分布種の一部は、絶滅のおそれが高い種として指定されています。
| 和名(学名) | 熊本県RL2024 | 環境省RL | 備考 |
|---|---|---|---|
| ハナシノブ(Polemonium caeruleum subsp. kiushianum) | 絶滅危惧IA類(CR) | 絶滅危惧IA類(CR) | 阿蘇の草原固有種 |
| ヤツシロソウ(Campanula glomerata subsp. speciosa) | 絶滅危惧IB類(EN) | 絶滅危惧IB類(EN) | 阿蘇〜九重にのみ分布 |
| ヒゴタイ(Echinops setifer) | 絶滅危惧IB類(EN) | 絶滅危惧II類(VU) | 阿蘇を代表する花の一つ |
| ヒゴシオン(Aster maackii) | 絶滅危惧IB類(EN) | 絶滅危惧II類(VU) | 北外輪山の湿地に分布 |
(熊本県『レッドリストくまもと2024』による)
これらの希少種は生育地が限られているため、観察の際に採取を行わないことが求められます。
よくある質問
Q. 阿蘇の草原は現在も6万ヘクタールの規模がありますか? A. 「6万ヘクタール」という数値はかつての規模を示す伝聞的な記述であり、現在の正確な面積については公的統計による確認が必要です。
Q. 阿蘇の草原にしかない植物はありますか? A. ハナシノブやツクシマツモト、アソタカラコウなど阿蘇の草原固有の種のほか、阿蘇から九重にかけての草原だけで知られるアソノコギリソウ・ヒゴシオン・ヤツシロソウなどが確認されています。
Q. 草原の景観はどのように維持されていますか? A. 毎年春に行われる野焼きによって樹木の侵入が抑えられ、草原としての景観と生態系が維持されています。
関連項目
- 野焼き
- 阿蘇五岳
- 阿蘇くじゅう国立公園
- 阿蘇ジオパーク
参考文献
- 熊本県『レッドリストくまもと2024』
- 夏目漱石『二百十日』