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阿蘇の自然

カルデラ湖

かつて阿蘇には湖があった-カルデラ湖の誕生と消滅の全記録-

阿蘇の雄大な草原や水田を眺めていると、ここがかつて巨大な湖の底だったとは想像もできないかもしれません。

しかし地質学的な証拠は、この大地の奥深くに刻まれています。数万年前の堆積物、珪藻の化石、そして弥生時代に使われた船の櫂。それらはみな、阿蘇カルデラにかつて存在した「カルデラ湖」の痕跡です。

この記事では、そのカルデラ湖がどのように生まれ、どのように消えていったのかを、地質学と神話の両面からひもといていきます。


阿蘇カルデラの誕生——4回の大噴火が生んだ巨大な凹地

カルデラ湖を理解するには、まず阿蘇カルデラそのものの成り立ちを知る必要があります。

阿蘇火山の活動は約30万年前に始まり、その後30万年から7〜8万年前にかけて「Aso-1」「Aso-2」「Aso-3」「Aso-4」と呼ばれる4回の大噴火を経験しました。なかでも約9万年前に起きたAso-4噴火が最も大規模で、この噴火による火砕流の堆積物は周辺に広大な台地をつくり、さらに海を越えて島原や天草、山口県でも確認されています。

阿蘇カルデラは、約9万年前の大規模な火砕流噴火による陥没で形成されたもので、東西18km・南北25kmという世界最大級の規模を誇ります。 

この陥没によって生まれた巨大な"お椀"が、カルデラ湖の舞台となりました。


カルデラ湖の誕生——海抜マイナス600mの底に水がたまった

火砕流噴火とその後の陥没によってできた阿蘇カルデラの底は、海抜マイナス300〜600メートルほどの深さがありました。水がたまって湖面の高さは海抜500メートル位のところにあったと推定され、今日のカルデラ床の高さとほぼ同じくらいだったと考えられます。

この最初の湖は「古阿蘇湖」と呼ばれています。

ただし古阿蘇湖は、後カルデラ火山の活動によって急速に埋め立てられたことと、カルデラ西壁で断層の活動などによって古立野火口瀬が形成されたことなどにより、存在していた期間は比較的短かったとされています。

その後、地質調査やボーリング調査によってカルデラ内では湖が少なくとも3回出現したと考えられており、古いものから「古阿蘇湖」「久木野湖」「阿蘇谷湖」と呼ばれています。


湖が積み重ねた地層——厚さ300メートルの記憶

カルデラ壁から雨水とともに流入する礫(小石)や砂・シルト・粘土・あるいは火山灰などが湖底に数万年かけて堆積しました。そうしてできた湖成層は、高森町色見のボーリング調査で厚さが約300メートルにも達しています。

これは東京タワー(333m)にも迫る分厚さで、どれほど長い時間をかけて堆積が続いたかが想像できます。


化石と遺物が証明する——カルデラ湖の確かな存在

「湖があった」という事実は、地質だけでなく生物の痕跡によっても裏付けられています。

久木野村から長陽村にかけて見られる厚さ約50メートルの久木野層からは淡水生の珪藻の化石が見つかっています。また、阿蘇町萱原一帯のカルデラ湖末期に生成されたと考えられる沼鉄鉱(水酸化鉄)床には水辺に生えるヨシの茎が多く含まれています。

さらに人類の痕跡も残されています。戦時中に鉄鉱石を採掘していた際に船の「かい」と木ぐわが出土した記録があり、昭和62年には船の一部と思われるものが発見されています。 

北側では弥生時代の船の櫂などが出土していることから、ごく最近まで一部水域が残っていたことは確かで、花粉分析の結果などから少なくとも6000年前くらいまでは湖が残存していたと考えられます。


カルデラ湖の消滅——立野の「決壊」が起きた日

南北で異なる運命をたどったカルデラ湖は、やがて西側の外輪山の崩壊とともに消えていきます。

カルデラ湖は、西外輪山の長陽村立野付近が決壊して湖水が流出し消滅しました。決壊したのは7万3000年以前だったと推定されますが、決壊の原因と時期は今一つはっきりしません。 

決壊の原因は断層と浸食作用によることは確かで、断層によって外輪山にひび割れが生じ、そこからしみ出た湖水は外側から浸食して傷口をしだいに広げていき、ついにはカルデラ壁が決壊するといった具合です。立野付近には東西方向の活断層や大規模なリニアメント(線状の地質構造)が顕著で、北向山断層と名付けられた北落ち200メートルにも達する正断層などが大きく関係していると考えられています。 

一方、最後のカルデラ湖は、阿蘇谷では8900年前頃、南郷谷では4万年前頃まで存在していたと考えられています。 


神が蹴破った——健磐龍命と立野の神話

地質学的な出来事は、地元の神話としても語り継がれています。

カルデラ湖の消滅をもたらした「立野の決壊」は、神話の世界では阿蘇の神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」が外輪山を蹴破ったことに由来するとされています。二度目の蹴りでバランスを崩して転んだ際に「立てんのう(立てない)」と言ったことが、地名「立野」の語源だとも伝えられています。

健磐龍命は湖を排水することで人々がカルデラの内部で生活・農耕できるようにしたとして「阿蘇の父」とみなされており、阿蘇山にまつわる十二柱の神々の中で最も重要な神とされています。

地形の変化を「神の御業」として語り継いだ先人たちの感覚は、現代の地質学的解釈と見事に重なります。


カルデラ湖が現代に遺したもの

湖は消えましたが、その恵みは現在の阿蘇に生き続けています。

火口湖にはミネラル成分を含んだマグマや植物などの有機物が蓄積され、水中で分解されました。この中でも鉄分を多く含む成分がリモナイト(褐鉄鉱)として阿蘇・狩尾一帯に堆積しています。

また、阿蘇カルデラに降った雨は、火山地層によってゆっくりと濾過され、地中を通過して湧き出るまでに約50年かかるとされています。この豊かな湧水が農業用水や生活用水として古くから人々の暮らしを潤してきました。 

今私たちが阿蘇で目にする広大な草原、水田、そして清冽な湧水は、遠い昔に存在したカルデラ湖が育んだ大地の記憶に他なりません。


阿蘇のカルデラ湖は、約9万年前の大噴火で生まれ、少なくとも3回の出現と消滅を繰り返しながら、最終的に弥生時代の頃まで北側に水面を留めていました。

その痕跡は300メートルを超える地層、珪藻の化石、そして弥生人が使った船の櫂として今も大地の中に眠っています。湖が消えた後も、その水と鉱物は現代の湧水群や豊かな土壌として私たちの生活を支え続けています。

阿蘇の大地を歩くとき、足の下に眠る"失われた湖"に思いを馳せてみてください。

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更新日: 2014-07-25 (金) 00:00:00 (4286d)